君に恋する言い訳がほしい
【1】
わたしたちには、言い訳が足りない。
アイドルの世界で育ったわたしは、だからこそアイドルのルールに敏感だった。アイドルは恋愛禁止。アイドル同士なんて言語道断。
そのルールを守るように、わたしと雫をその世界へ押し留め続けるように。無意識にとり続けたそんな思考が、今の二人の距離を形作っている。
友達以上、恋人未満。
わたしたちの関係に、これほどぴったりな言葉はないだろう。
そんなもどかしい関係も、10年を超えればどこか心地良くなってしまうものだ。
こうしてもつれた赤い糸にしがみ付くことを続ければ、少なくとも彼女が遠くへ行ってしまうことはないだろう。
そう。
"わたしたちには今の関係が一番丁度いい"
"下手なことをすればこんな関係すらも壊れてしまうかもしれない"
浮かんでくるのはそんな言い訳ばかり。あわれそのまま流されて、たどり着く結論はいつも「保留」だった。
……そんなんだから。
キスの一つもする前に、後輩に先を越されるのだ。
【2】
「私たち、結婚するんだ」
珍しく4人集まった喫茶店で遥ちゃんの口からその言葉を聞いた時、最初に気付いた感情は「羨望」だった。
どこまでもお似合いな二人だった。お互いがお互いを支え合ってて、とっても幸せそうな顔をしている。実際遥ちゃんの隣で照れ臭そうに笑うみのりちゃんは世界で一番幸せそうで、二人と向き合う私たちも、思わずつられて笑ってしまった。
「いいじゃない、二人ともおめでとう!」
「おめでとう、遥ちゃん、みのりちゃん! 式とかはこれからになるのかしら?」
「うん。ちょっと規模の小さいものにはなるけど……でも、近いうちにちゃんと招待状も送れると思う」
「招待状も送るけど、特に愛莉ちゃんと雫ちゃんには早く話したいねって、遥ちゃんと話してたんだ!」
……ぼんやりと、結婚式場での撮影モデルのことを思い出す。あの時は私がタキシードで杏ちゃんがウェディングドレスだったけれど、二人はどんな衣装で式を挙げるんだろう。なんとなく遥ちゃんがタキシードのイメージだけど、大人の魅力も出てきた今のみのりちゃんが着るのもきっととても似合うだろう。二人ともドレスというのも素敵だし、披露宴をするのならお色直しで二人の衣装を入れ替える、なんてこともできるかもしれない。
――愛莉ちゃんは。愛莉ちゃんは、どうなんだろう。
撮影の時、愛莉ちゃんの役はプライズメイドだったから、私は愛莉ちゃんのウェディングドレス姿を知らない。とっても可愛くてかっこいい愛莉ちゃんなら、ウェディングドレスもタキシードもとっても似合うはず。
願わくば、その隣に私がいられるのなら――。
「雫ちゃん?」
「あっ……ごめんなさい、少し考え事をしてて」
「まったく……思考まで迷子になったら手に負えないわよ?」
"まだモデルのお仕事もあるから"
"変なことを言ったら、愛莉ちゃんが困っちゃうから"
そんな言い訳を自分にしながら、ほんのちょっとの妄想に蓋をする。
絡まった赤い糸を解くには、ちょっと時間が経ち過ぎてしまったみたいだ。
……でも、ねえ、愛莉ちゃん。
私たちは、「お似合いな二人」にはなれないのかな?
【3】
バームクーヘンに紅茶、そして瓶詰めの金平糖。二人からの引き出物は、披露宴で熱を持ちすぎた心と身体を落ち着かせるにはうってつけのものだった。
一切れのバームクーヘンの横にティーカップを置いて、青とオレンジの金平糖を紅茶に溶かしていく。一人きりのワンルームだけれど、代わりに左手のスマホが親友の声を届けてくれる。
『ドレス姿のみのりちゃんに号泣する愛莉、簡単に想像できるなぁ』
「うるさいわね……本当に綺麗だったんだからしょうがないでしょ」
絵名にも見せてやろうと思ったけれど、見惚れて全く写真を撮ってないことに気がついた。それほどに綺麗だったのだ。屋上でずっと自主練をしていたみのりが、遥にずっと憧れていたみのりが、花嫁として遥の横に並ぶその姿が。あんなものを見せられて泣かないわけがない。あの場でご両親の次くらいには泣いていたかもしれない。エスコートする遥も今まで見たことがないくらい幸せそうで、本当に、本当に……。
『羨ましかった?』
「……まあ、ちょっとね」
あの場の熱が引いていくにつれて、手元に残ったのは心の底で燻り続けるほんのちょっとの羨望だった。
わたしには到底届きそうもない景色。わたしには到底訪れそうもない瞬間。なんだかそれがどうしようもなく羨ましくて、考える度に、大きな溜息が出る。
『プロポーズしちゃえばいいのに』
スピーカーからは呆れ混じりの声。
『雫だって断らないと思うけど』
「簡単に言ってくれちゃって」
ここ1、2年で何度繰り返したか分からない問答。できるものならとっくにやってる。絵名がそれを分かって言ってることも、ちゃんと理解はしてるけれど。
そもそも厳密には恋人ですらないのだ。わたしと雫は仲のいい、10年来の付き合いの親友。告白すらしていない、友達以上恋人未満の関係。25にもなって恋人の壁すら越えられない、そんな筋金入りの意気地なしがわたしだ。
"今更告白なんてできっこない"
"ましてやプロポーズなんてできるわけない"
"そもそも、雫がわたしと同じ想いでいる保証もない"
10年分の言い訳
がわたしの耳を劈いて、進む気力を奪っていく。同じ距離のまま凍りついた関係は、そんなノイズへの抵抗心すら掻き消してしまった。
……だけど。
量の減った紅茶に、ピンクと緑の金平糖を落とす。ぬるくなってしまった紅茶の中でも、二つの色はゆっくりと溶けていく。
脳裏に浮かぶのは、幸せそうな二人の姿。
わたしたちには、ノイズを掻き消す言い訳が足りない、けれど。
「言い訳を探す努力くらいは、した方がいいのかしらね」
【4】
「――それで、私に相談しにきたと」
遥とみのりから結婚の話を聞いた、いつぞやの喫茶店。以前と違うのはみのりと雫がいないことだった。
「そ。……まあ、流石にいつまでもこのまま停滞してるのもよくないし」
「なるほど。……正直、ちょっとびっくりしちゃったな。愛莉と雫は、今の関係が一番ちょうどいいんだろうなって勝手に思ってたから」
どういうことよ、なんて言葉は喉元で押し留める。ずっと一緒にいるのに、ずっと距離が縮まる気配がない。確かにわたしたちを側で見てきた遥にとっては不思議だったかもしれない。……踏み切れない一番の理由が10年ものの臆病だなんて、我ながら情けない限りだ。
「……なんか、こじれてるね」
「うっさいわね! そうよ! こじれまくりのもつれまくりよ!! だから今相談してるんじゃない!!」
流石に今度は押し留められなかった。ほんっとうに可愛げのない後輩だ。仮にも年上なんだからもう少し敬ってほしい。
……とはいえこの悩みを本気で相談できるのも、目の前の彼女くらいしかいないのだ。一つ大きくため息をついて、しぶしぶ話を続ける。
「遥は、どうやってプロポーズしたの?」
「婚約指輪を買って、デートの最後に。プロポーズする場所とかは流石にちょっと意識したけど、それ以外はいつも通りのデートだったよ」
あまり肩肘張りすぎない方がいいってこと? むしろそっちの方が難しい注文だ。
着実に一つずつ段階を踏んでいった遥やみのりと違い、わたしにはもはや踏むべき段階がどこに存在しているのかも分からない。
"デートに誘ってプロポーズだなんて、ちょっとあからさますぎじゃないかしら"
"そもそも恋人にすらなれてないんだからデートなんて"
「言い訳ばっかり探すなら、やる言い訳の方を探せばいいのに」
プロポーズの先輩からの痛い一言。
「ぐぅ……それができないからアンタを頼ってんじゃない……わたしだってできるんだったらやってるわよぉ……」
「……言い訳を用意すれば頑張れるの?」
「……へ?」
「じゃあ、用意してあげるよ。言い訳」
ティーカップを置いて微笑む遥。穏やかという言葉とは程遠い、どちらかといえばいたずらっ子のそれに近い微笑みだった。……ほんの少しだけ嫌な予感はするけど、わたしの性根とこの関係を叩き直すには多少の荒療治も必要なのかもしれない。
一体目の前の彼女は何を考えているのか……そんなことを警戒しながらも、わたしは彼女の提案に乗ることにした。
【5】
「えっ!? 愛莉ちゃんにプロポーズ!?」
「ええ、みのりちゃんと遥ちゃんを見ていたら頑張りたくなって。……でもやっぱり変かしら……まだ告白すらちゃんとしていないのに……」
「ううん、そんなことないよ! すっごく素敵だと思う!」
愛莉ちゃんと、もう一歩だけ特別な関係になりたい。そう心の底で決意した時、相談相手として自然と思い浮かんだのがみのりちゃんだった。自分でも一足飛びに行きすぎかと思ったけど……みのりちゃんの肯定の言葉で少しだけ心が軽くなる。
「でも、こういうのってどうすればいいか分からなくて……。今までは、何かある度に愛莉ちゃんが私の手を引っ張っていってくれてたから」
「うーん……わたしも遥ちゃんに助けられっぱなしだったからなぁ……」
「みのりちゃんがプロポーズされた時は、どんな感じだったのかしら?」
そこからは、みのりちゃんの体験も交えながら必要なことを洗い出す。婚約指輪のこと。プロポーズの言葉のこと。……あとは、そのタイミングのことも。
「急に二人きりでデートに誘うなんて、変じゃないかしら……?」
「わたしは変じゃないと思うけど、でもはじめてのことだったら不安だよね……。そうだ、じゃあ最初はわたしたちも入れて4人で遊びにいくのはどうかな? それで雫ちゃんがプロポーズする時に、わたしたちが席を外すの!」
「それなら……ええ、それならなんとかなるかも……でもいいのかしら? 二人も巻き込んでしまって」
「もちろん! 雫ちゃんのこといっぱい応援したいし、遥ちゃんも賛成してくれると思う!」
本当は私一人で頑張るべきだけど……それができる勇気があれば、私は愛莉ちゃんになんだってできただろう。だからみのりちゃんの提案はとても嬉しかった。"みのりちゃんたちも応援してくれているから"と思えば、今まで踏み出せなかった一歩も、勇気を持って踏み出せるかもしれない。
「それじゃあ日程はまた決めるとして、あとは場所かな?」
「あっ、それはもう考えてあるの。……ここなんだけど、どうかしら?」
候補に定めた場所は、夜の街並みを一望できる展望台。「恋が実る」と噂のその場所は、未だに検索がうまくできない私でもすぐに見つけられたほど、都内では有名なデートスポットだった。
特別な思い出があるような場所じゃない。愛莉ちゃんが知ったら「ありがちすぎる」って苦笑いされるかもしれない。でも今の私に必要なのは、曖昧になりきった「私たちらしさ」じゃなくて、そんな曖昧になりきった距離と時間を飛び越えられるような、はっきりした「きっかけ」だと思うのだ。
「あっ! ここ、わたしたちも行ったことあるよ! 夜景もすごく綺麗だし、ぴったりだと思う!」
"有名なデートスポットだから間違いない"
"みのりちゃんと遥ちゃんも行ったんだから、きっと間違いない"
小さな理由を心の中に積み重ねて、自分の中の決意を確かなものにする。
きっとこれが、最初で最後のチャンス。この機会を逃せば、もう二度と、一歩を踏み出す勇気は湧いてこない。
「ありがとう、みのりちゃん。お陰で頑張れそうだわ」
「えへへ、よかった! それじゃあ、日程は後で遥ちゃんと愛莉ちゃんも入れて決めようね!」
"愛莉ちゃんが私のことを好きだって言う確証は、どこにあるの?"
……だから。そんな臆病風は、聞こえないふりをした。
【6】
暑さも徐々に引いてきた、夏の終わり。みのりと遥に誘われたわたしたちは、いつもと少し違う駅に集まっていた。
なんでも結婚前に見に行った夜景を今度は4人で見に行きたいらしい。折角だからその辺りで気になっているお店も色々回ってみようということで朝から集まったわけだけど……。
「まさか、みのりが熱出して寝込むなんてね……」
「うん……みのりちゃん、大丈夫かな……?」
一番先陣を切って計画を立ててたみのりが、楽しみにしすぎて熱を出すなんて小学生みたいなことになっているのだから締まらない。
当然遥もみのりの看病に付きっきりなので、結局集まれるのはわたしたち二人だけ。
延期も提案したけれど既に展望台のチケットは取ってしまっているらしく、チケット代も勿体ないので、主催者不在のまま決行が決まったと言うのがここまでの流れだ。
「それにしても雫、よく迷わずにここまで来れたわね」
「うん。前にも来たことがあったから」
……なんだか雫、ちょっと緊張してる?
そう言おうと思ったけど思いとどまる。まあ二人で一日遊ぶのなんてなんだかんだ久しぶりだし、それに自惚れかもしれないけど、こういうシチュエーションとなると、ほんのちょっと意識してしまうものもあるのかもしれない。
恥ずかしながらわたしもほんのちょっと緊張していて……さらにその緊張を加速させるメッセージが、10分前に遥から届いていた。
『言い訳は作ったよ』
"二人きりなんだから思い切ったことをしても仕方がない"
"遥がこんなお膳立てしてくれたのだから保留は許されない"
うん、確かに言い訳はできた。できた、けど…………。
(お膳立てするならもっと早くに伝えなさいよねー!!)
当日になって言われたって、心の準備ができないわよ!!
【7】
『こんなことになっちゃってごめんね、雫ちゃん……。でもお家から一生懸命応援してるね!!』
みのりちゃんからのメッセージに既読をつけて、スマートフォンを閉じる。
「ここのお店は、クリームあんみつが美味しいんだって。みのりちゃんが調べてきてくれたの」
「あら、そうなの? それは頼んでみなくちゃいけないわね!」
みのりも分かってるじゃない、なんて愛莉ちゃんは言うけれど……本当は、半分は私が選んだお店だったりする。
ここだけじゃない。展望台のことはもちろん、この後行ってみるお店も全部、みのりちゃんと一緒に私が選んだ場所だ。ちゃんと愛莉ちゃんを案内できるように、事前に何回も来て道順だって覚えてきてる。
今更今日一日の出来事で何かが変わるとは思えないけど、それでも精一杯のことをしたかった。少しでも愛莉ちゃんに喜んでほしくて、少しでも「一歩を踏み出せる理由」がほしかった。
……けれど、今日の愛莉ちゃんは時々、すごく難しい顔をする。
"愛莉ちゃんはあんまり楽しくないのかも"
"今日は気分が乗らないのかもしれない"
"もしかして、私と一緒にいるのは――"
なんて良くない考えが、ずっと前から決めてきたはずの決意をぐらぐらと揺らす。展望台に行くのはまだまだ先の話なのに、今にも心が折れそうで、気を抜けばぽろぽろと涙が溢れそうになる。
「雫?」
「あっ……ごめんね。ちょっとぼんやりしてたみたい」
「大丈夫? 体調とかが悪いなら無理しなくても……」
「ううん、大丈夫。それより、クリームあんみつ届いたよ。一緒に食べよう?」
ずっと一緒にいるはずなのに、未だに思ってることの一つも分かりはしない。
鞄に隠した小箱が、厭に重たく感じた。
【8】
……展望台から見る夜景は、厭になるほど綺麗だった。
そりゃあ、こんなところでプロポーズなんかすれば様にはなるだろう。遥からの気遣いと、ほんのささやかな悪意を感じる。
「夜景、綺麗だね」
「ええ。……みのりが見せたがってたのもなんか分かるわ」
雫は明るく振る舞ってるけど、不意に物思いに耽ったり、どこか苦しそうな目をしたり、なんだか元気がなさそうだった。
あんまり楽しくないんじゃないかとか、無理をさせてしまってるんじゃないかとか、そんな考えがどんどん胸につっかえて、うまく雫と話せなくなっていく。
『言い訳を用意すれば頑張れるの?』
嘘をついていたわけじゃない。わたしに必要なのは前に進むための言い訳、わたしのエゴを突き通すための言い訳で、今日がそれを押し通す日だと思っていたのだ。
"無理はさせずに早く解散した方がいいんじゃないか"
"突然変なことを言ったら雫が困ってしまうのではないか"
"雫にはもう特別な人がいて、わたしと一緒にいてくれるのは半分情けみたいなもんなんじゃないか"
なのに、心に浮かぶのはそんなことばかり。何度も火を灯したはずの覚悟は冷え切って、今にもその灯が消えそうになっている。
「……恋が実る、展望台なんだって」
不意に、雫が口を開く。
絞り出すような声だった。その理由までは分からなかった。
「そう。これだけ夜景が綺麗なら、なんだかそれも納得だわ」
「みのりちゃんが教えてくれたの。二人もここに来たことがあるんだって」
"いかにもすぎて恥ずかしい"
"わたしにこんなロマンチックなのは似合わない"
"なんだか遥の掌の上みたいで腹が立つ"
そんな言い訳ばかりが増えていく。
大きさを増していくノイズが、雫の声すらも掻き消しそうになる。
「恋とか、あまり考えたことないなぁ」
「わたしも。アイドルやってると、あんまり意識しないわよね」
「うん。今でも、あんまりぴんとこないの」
「恋をするには、歳をとりすぎたのかもね」
"そうだ、今更遅すぎる"
"いっそこれまで通りでいいじゃないか"
うるさい、うるさい。わたしが欲しいのはそんな言い訳じゃない。
「……披露宴のみのりちゃんたち、綺麗だったね」
「……ええ、とっても。泣いちゃうくらい綺麗だった。……本当に、羨ましい限りだわ」
違う。違う! こんなんじゃいつものわたしたちだ。
雫とおしゃべりがしたいんじゃない。わたしは想いを伝えたい。ずっと心の底で燻り続ける、このどろどろとした恋
を伝えたいの!
"今更そんなの無理だ"
"今も笑えてる自信すらない"
"臆病なわたしじゃ、この先には進めない"
うるさいうるさいうるさい、言い訳
が邪魔で雫の声も聞こえやしない!
"みのりたちの抜け駆けを許すわけにはいかない"、"遥のお膳立てをフイにしたら恥ずかしい"、"大体雫からこの話を振ってるんだから失敗しないはずがない"!!
エゴを吐き出す言い訳を、雫を傷つける言い訳を必死にかき集める。欲しいのは前に進む覚悟、雫の手を取る覚悟。
それなのに声が出ない。息が苦しくて仕方がない。10年間分の言い訳が、雫を遠くへ連れ去っていく。
……あと一つだけ。一つだけで十分なはずなのに、それすらも痺れる頭では絞り出せない。
わたしたちには、いつも、言い訳が足りない。
結局、きっと、いつまでたっても――。
「――ねぇ、愛莉ちゃん」
雫の声は震えていた。
翡翠色の瞳からは、絶えず涙が溢れていた。
絞り出すような声だった。
……わたしはようやく、その理由を理解した。
「私たちに、恋はできないのかな――?」
【*】
――ああ。
"アンタがそんな顔をするから"
"わたしが覚悟決めなきゃいけなくなるんだ"
欲しかった言い訳は、随分と単純なものだった。
【9】
「っ――、だったらなんで、アンタは泣いてんのよ!!」
両手を握って雫と向き合う。力の加減ができなくて痛いかもしれないけど、"わたしの前で綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしてる雫が悪い"。
「ねえ、雫、わかる? わたしの手、今こんなに震えてる! 想いを伝えるなら今日しかない、勇気を出すなら今日しかないって、朝からずーっとそればかり考えてた!! 頭の中は雫のことばっかり、悲しい顔されたらどうしよう、傷つけちゃったらどうしようってそんなことばっかり考えてる!! 今だって泣いてる雫が苦しくて、悲しくて、喉が締め付けられて息ができない! ねぇ雫、教えてよ!! これが恋じゃなきゃ、この苦しさが恋じゃなきゃ何だって言うのよ!!」
一度溢れた想いはもう止まらなかった。10年分の想いが、堰を切ったかのようにわたしを突き破っていく。
「みのりたちが羨ましくて仕方なかったの! 当たり前じゃない、わたしだってずっと夢見てた! ずっと心の底で憧れてた! 雫と一緒にあの場所に立てたらって、雫の隣でドレスを着れたらって、そんな子供っぽいこと、ずっと考えてるの!! これが恋じゃなきゃ何なのよ!! 最初に惹かれたあの時から、わたしはずっと恋してる!! 他でもない『日野森雫』に!!」
どんどんエゴが流れていく。これはわたしの我儘かもしれない。この言葉がどうしようもなく雫を傷つけてしまうかもしれない。それでもわたしは止まれなかった。止まるわけにはいかなかった。
「ねぇ雫、恋をしてたのはわたしだけ? 惹かれてたのはわたしだけ!? 雫もきっと同じだって信じていたいのはわたしの我儘!? わたしには分からないの! 10年一緒にいるのに、雫のことが何も分からないのが怖くて怖くて仕方がないの!! ねぇ教えてよ、雫のそれは恋じゃないの? 雫にとってわたしは何なの!? もう曖昧な距離で話すのは嫌なの、友達以外の何かになりたいの!! それが恋なら応えてよ、わたしはずっと、アンタのことが――!!」
――だけど、わたしの告白が、完遂することはなかった。
不意に抱き寄せられて、空を飛ぶような感覚の中、乾き切った唇を、そっと塞がれる。
はじめてのキスだった。
思い焦がれた、口づけだった。
「……ねぇ、愛莉ちゃん。そこから先は、私に言わせて?」
……ずっと、こうなればいいなって思ってた。
涙を拭いて微笑む雫はとても綺麗で、唇を結んだ分、ぐちゃぐちゃな感情が涙になって頬を濡らす。
「私も、ずっと愛莉ちゃんと特別な関係になりたかったの。愛莉ちゃんと一緒にいられたら、愛莉ちゃんの隣にずっといられたらって思ってた。きっと私も、愛莉ちゃんに負けないくらい、ずっと『桃井愛莉』に恋をしてた」
雫が鞄から取り出したのは、手のひらに乗るような小さい箱。その正体に気付けないほど私は無知ではなくて、だからこそ……声を上げて泣き出しちゃわないようにするので、精一杯だった。
「私は、ずっと愛莉ちゃんに支えてもらってばっかりだったから、だから一度くらい、私から一歩踏み出したかったけど……。やっぱり私は、愛莉ちゃんなしじゃ生きていけないみたい。だから」
左手の薬指に、小さなダイヤの指輪。
震える雫の手に応えるように、くしゃくしゃになった顔で笑顔を作る。
「だから……これからも、あなたと一緒に生きていいですか? あなたのことを、幸せにさせてくれませんか?」
……本当に、らしくないことしちゃって。
「『幸せにさせて』じゃないでしょ?」
「えっ?」
「わたしだけ幸せになってどうすんのよ。……だから、雫。二人で一緒に、幸せになりましょ?」
一瞬驚いた顔をして、だけどすぐに笑顔が咲く。きっとわたしと同じくしゃくしゃの笑顔で、そうして待ち望んだ答えは、すぐにやってきた。
「はい、喜んで!」
【10】
「……それで無事に結ばれて、来週から新婚旅行に行ってくると」
「なんかそう言われると恥ずかしいわね……ただ京都の方に遊びに行くだけよ。……いや、新婚旅行って言われて否定はできないけど……」
いつぞやの喫茶店。あの日と同じように、わたしは遥と向き合っていた。
あの時違うことといえば、わたしの左手に指輪が一つ増えたことだろうか。
「ちょっと進展早すぎない? 私たちもまだなんだけど、新婚旅行」
「仕方ないでしょ? "雫が『新婚旅行に行きたい』ってうるさいし"、"元々京都に行きたいって話も出てたんだから"。半分偶然決まったみたいなもんよ」
そりゃあ、式を挙げてからの方がとかいろいろ考えたけど、"こういうのは勢いが大事だし"、"10年分の我慢を一旦精算する必要もあるし"? だから別に何も言われる筋合いは……。
「……な、なによ」
「いや、別にいいんだけど……」
「愛莉、言い訳が上手くなったなって思って」
「……あっ、ごめん。別に悪い意味じゃなくて」
「大丈夫よ。でも確かにそうかもね。全部丸く収まって、肩の力が抜けたのかも」
そっか。うん、確かに今の愛莉は、すごく幸せそうに見えるな。
なんて言って遥が笑うから、どこか安心して、わたしも笑みをこぼした。
「それじゃあ、改めて……結婚おめでとう、愛莉」
「ええ、ありがとう」
……とはいえ、まだまだやりたいことはたくさんある。旅行もそうだし、式もそうだし、それ以外にも密かにやってみたかったことは多い。きっとその殆どが、ちょっと恥ずかしくて雫には言いにくいようなことだろうけど……それでも今のわたしたちなら、なんだって笑って言い合える気がするのだ。
……さて。
今度は一体、どんな言い訳をしよう?
2022/08/09 『prsk48hアンソロジートライアル』参加作品
「prsk48hアンソロジートライアル」という企画は、その名の通り48時間で作品を作り上げる企画です。
「合同誌への寄稿作品として適切な分量」が求められるので、それなりの分量を書く必要があります。
……なぜそんなことを?と思われるかと思いますが、私にも分かりません。
とにかくこの作品は48時間で書かれたのですが……結構それを抜きにしても、個人的にお気に入りの作品です。
界隈では「もう結婚すらもしちゃったから本当に書くことがもうない」という声もたまに飛んできていたしずあいですが、
実際にくっつくまでの過程を想像するとまあまあ苦戦しそうなイメージもあります。
バームクーヘンエンドなんかも似合うとはよく言われますが……結ばれないのは、やっぱり寂しいじゃないですか。
そんな感じのことを考えながら書きました。締切ヤバすぎたので深く意識してたわけではないですが。