ずっと隣にいるために

「遥ちゃん、ここなんだけど……」
「えっと、これは……条件付き確率の問題だね」
「そっか! じゃあ確か、この公式を使うんだよね?」

 今日は皆で勉強会。みのりちゃんと桐谷さんと、それに杏ちゃんもいる。
 突然桐谷さんから勉強会のお誘いを受けた時はびっくりしたけど、テストも近いし、杏ちゃんとみのりちゃんが参加するなら断らない理由はなかった。
 今はこうやって、定休日のWEEKEND GARAGEを借りて4人で数学の勉強をしてるんだけど……。

「杏ちゃん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫。もうちょっとだけ一人で考えさせて!」

 杏ちゃんの様子が、ちょっとおかしい。いや、おかしいって言っても悪い意味じゃないんだけど……。
 馬鹿にしているわけではないけど、杏ちゃんはあまり勉強が得意じゃない。Vivid BAD SQUADの皆で勉強会をする時はいつも東雲くんと大変そうにしてる。
『いいもん! 私にはこはねがいるから! 勉強なんかできなくてもこはねが助けてくれるもん!!』
 って、泣きそうになりながら言ってたこともあったっけ。
 ……そんな杏ちゃんが、特に苦手な数学に一人で挑戦しようとしてる。こんなこと、ちょっと前までは考えられなかった。杏ちゃんが頑張ってるのはとても嬉しいけど……何かあったのか、少しだけ不安になる。
 何より、今も含めて最近の杏ちゃんは時々すごく眠そうにしている。皆で練習する時は平気そうだけど、練習が終わったら電池が切れたみたいにうとうとしてることも多くって……頑張ってるのは分かるけど、無理をしてないか、すごく心配になってしまう。

「……ごめん、こはね。ギブアップ。これとこれを使うってとこまでは分かったんだけど、その先を教えてくれない?」
「……うん、わかった。えっと、ここはこの公式を使って……」

 心配、だけど。今こうやって頑張ってる杏ちゃんに、水は差したくない。不安は一旦横に置いておいて、私はまず目の前の問題に集中することにした。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「はぁ、疲れた……!」
「お疲れ様、みのり。ちょっと休憩しようか」
「はーい! あ、わたし、何か勉強しながら食べられるお菓子買ってくるね!」

 みのりちゃんたちの方は一度落ち着いたみたい。私たちも、キリがいいところだけど……。

「杏ちゃん、そろそろ私たちも休憩しない?」
「うーん……ごめん、こはね。もう一問やりたいの」
「で、でも……」
「杏。無理しすぎるのも良くないよ。それにさっきからうとうとしてるし、一度仮眠を取ってコーヒーでも飲んだ方が集中できるんじゃない?」

 もっと頑張ろうとする杏ちゃんにかける言葉を探してたら、桐谷さんが助け舟を出してくれた。

「でも……」
「小豆沢さんも、そう思うでしょ?」
「う、うん! 杏ちゃん、頑張ってるのは嬉しいけど、無理しちゃうのは良くないよ……!」
「……そっか。うん、こはねがそういうなら、少し休もうかな。10分経ったら起こしてくれない?」
「うん、わかった!」

 そうして杏ちゃんはテーブルに身体を預けて……数秒後、静かな寝息が聞こえてきた。本当に、疲れてたんだろうな……。

「……ありがとう、桐谷さん」
「ううん、気にしないで。私もちょっとだけ心配だったから。……最近頑張ってるよね、杏」
「うん。ちょっとびっくりしちゃった。杏ちゃんがこんなに勉強を頑張ってるの、初めて見たから」
「……2週間前ね」
「へ?」
「突然杏からLINEが来たんだ。『私に数学を教えてくれ』って」
「えっ?」

 思わず桐谷さんの顔を見つめてしまう。私が言いたいことが全部分かってるかのように、桐谷さんはゆっくりと話し出した。

「私もびっくりしちゃった。小学校の頃から一緒にいるのに、杏が夏休み明けでもないのに『勉強を教えて』なんて言ってくるの、初めてだったから」
「そう、なんだ」
「それから毎日11時くらいにビデオ通話が飛んできて、数学とか理科とかを中心に教えてたんだけど……時々杏がいつまでも粘るから私まで寝不足になっちゃったりして、みのりにも心配されちゃった」

 そういえば一時期みのりちゃんが「最近遥ちゃんの顔色がちょっと悪い」って不安そうな顔をしてたことがあった気がする。裏では、こんなことがあったんだ。

「ありがとう、桐谷さん。……でも、どうして急に……」

 それに、どうして私じゃなくて桐谷さんだったんだろう。私に言ってくれても、ちゃんと頑張って教えるのに。……杏ちゃんなりに気遣ってくれたのかな。でも……。……そんな私のもやもやすらも見透かしたように、桐谷さんが、微笑んだ。

「胸を張っていたいんだって」
「……え?」
「『胸を張ってこはねの隣に立ちたい』『歌だけじゃなくてどんなことでも、私はこはねの相棒だって言える私でいたい』って、寝そうになる度に口癖みたいに言ってた」
「胸を張って、私の隣に——」
「目標のイベントを超えるのに勉強は関係ないんじゃない?とは言ったんだけど、そういう問題じゃないって聞かなくて」
「そう、なんだ」

 ————心臓の鼓動が、早くなる。杏ちゃんと出会った時とは、杏ちゃんが私を励ましてくれた時とは、違う感覚。杏ちゃんが私を見てくれてることが、杏ちゃんが私の力を信じてくれてることが、杏ちゃんが私のために、「私たち」のために必死に頑張ってることが伝わってきて、身体がかっと熱くなる。

「そっか。私の、隣に」
「うん。……あっ、でも今の話は杏には内緒ね。バレたら杏に殺されちゃうから」
「え、ええっ!?」
「小豆沢さんにとってはちょっと難しいと思うけど……でも杏は小豆沢さん相手だとちょろいし、きっと大丈夫。頑張って」

 そう言って、ウインクをしながら小さく舌を出す桐谷さん。……こんな顔も、できたんだ。

「桐谷さんって、本当に杏ちゃんの幼馴染なんだね」
「まあね。でも、幼馴染なんてそんなに大したものじゃないよ。少しだけ昔の杏に詳しいだけ。……だから、こんなに誰かのために本気な杏、初めて見た」

「ありがとう、小豆沢さん。……小豆沢さんが杏に出会ってくれて、本当に良かった」

 ——胸の奥の火が、一際強くなった。桐谷さんの熱を貰ったみたいな、そんな感覚。
 きっと桐谷さんにとって杏ちゃんはいつまででも親友で、道は違っても大切な人なんだと思う。……私にもそんな子がいるから、よく分かる。今は都合よくこの場にいないけど……。

「私も、桐谷さんがみのりちゃんに出会ってくれて、本当に良かったと思うよ」
「——そっか。うん。それは、私も思うな」

 そう呟く桐谷さんは、今までで一番優しい目をしていた。


*****


「……はっ!? 今何時!?」
「14時20分」
「15分経ってるじゃん!! 私10分で起こしてって言ったよね!?」
「別に10分も15分も変わらないでしょ?」
「それに、仮眠って15分が一番いいんだって! 頭がすっきりするってこの前テレビで言ってたよ!」
「えっ、そうなの? でも言われてみれば確かにいつもより寝覚めがいいかも……」
「……ちょろい」
「あ? 今何つった?」
「杏ちゃん落ち着いて。はい、コーヒー淹れてきたよ」

 放っておけば殴り合いが始まりそうな杏ちゃんと桐谷さんを静止して、皆の前にコーヒーを差し出す。

「ありがと、こはね! ……ねえ、これ飲み終わったら」
「うん、さっきの問題だよね。ちょっと難しいけど、私もサポートするから一緒に頑張ろう!」
「……! うん! ありがと、こはね!」

 その眩しい笑顔に、思わず目が眩みそうになる。
 ——ねえ、杏ちゃん。その笑顔の裏で、杏ちゃんはいっぱい頑張ってるんだよね。私が杏ちゃんに思うのと同じように、私の隣にいてくれるために、苦しくても前に進み続けてるんだよね。
 それを思うと、胸の奥がどうしようもなく熱くなるんだ。だから、私はそんな杏ちゃんの力になりたい。こんなこと言い出したらキリがないかもしれないけど……私のために頑張る杏ちゃんのために、私は頑張りたいの。

「よし、じゃあ始めようか」
「はーい! それじゃあ見ててね、こはね先生!」
「先生!? も、もう、杏ちゃんってば……!」

 だからね、杏ちゃん。
 私にももっともっと、杏ちゃんのことを応援させて!

- Afterword -
2021/11/11 投稿作品

akmh覆面小説企画に投稿させていただいた作品を改稿したものになります。
企画に投稿した作品は擬態のためいろいろと手を加えているので、
その辺りを取っ払ってのびのびと書きつつ、納得のいってなかった終盤を微修正したものとなります。
全力で擬態したバージョンは→こちらからどうぞ

この頃はまだ「桐谷さん」「小豆沢さん」呼びだったのですね。伝説のバディファニイベ前。
杏こはの「相棒」という関係性が好意以上のいろいろなものが込められているようで大好きなのですが、
この作品にもそれがちょこっと表れているような気がします。
どれだけ文章や体裁を見繕っても、自分の「好き」だけはやっぱり誤魔化せませんね。