瞳に桜、空に蒼。
窓際の3列目。私の席「だった」そこで、肘をついて外を眺める。
向こうから聞こえる喧噪が、誰もいない教室の空気を研ぎ澄ませた。
黒板には色とりどりに飾られた「卒業おめでとう」の文字。
描かれた桜の花びらがとても綺麗で、最初に教室に入ったときは思わず見惚れてしまった。
壁に貼られたたくさんの掲示物はそのままで……それが余計に黒板の、「卒業」の文字を非日常に落とし込んでいく。
私、桐谷遥は。今日、宮益坂女子学園を卒業した。
「卒業」というのは、ほとんど初めての経験だった。
最後に式に出席できたのは幼稚園の卒園式。小中どちらも卒業式は仕事で早退で、アイドルすらも「引退」した私は、何かを卒業したことがほとんどない。
……だからだろうか。
いまいち、何かが終わったという感覚が湧いてこないのは。
泣きじゃくりながら卒業アルバムに寄せ書きを頼んでくるクラスメイトを見ながら、どこか冷静な自分がいた。
あまり実感が湧いていないのか、その子が特別感受性が豊かなだけで普通はこんなもんなのか、それとも。
(自分で思ってたより私は、薄情な人間なのか)
門出の日に考えることじゃない、とは思いながらも、なんとなく少し嫌な気持ちになる。
アイドルに色々なものを売り飛ばしすぎたのだろうか。そんなことを考えてしまう自分が余計に嫌だった。
そんな不毛な思考を繰り返していると、
「あれ、遥?」
廊下から聞き慣れた声が飛んできた。
「……愛莉?」
廊下にいたのは同じユニットの仲間だった。ただ、いつもと雰囲気がちょっと違う。
いつも二つ結びの髪は後ろで一つに束ねられていて、スーツ姿の彼女はどこか大人っぽくて……「そういえば、愛莉は一つ上の先輩だったな」ということを、ぼんやりと再認識する。
「なんで宮益坂にいるの?」
「茶道部の卒部式があったから、OGとして顔を出しにね。で、雫を見失ったから探すのも兼ねて4階に来たらアンタを見かけたの。……それで、どうかした? 卒業式にそんな浮かない顔して」
「……えっと、それは……」
◆ ◇ ◆
「はあ、また変なことで悩むわね……」
「自分でもそう思うんだけど……」
「本当に、別に気にすることでもないでしょうに……まあいいわ。せっかくだし、久しぶりに屋上で話さない?」
「え? ……でも、雫は?」
「……一応雫もここ出身だし、大丈夫でしょ。知り合いにも連絡しておくし……」
◆ ◇ ◆
――そんなことがあって、屋上へ。
「ここの景色も懐かしいわね」
「卒業したら来る機会もないしね。2人が大学に行ってからは外のスタジオを借りることも多かったし、私も結構久しぶりかも」
そんな他愛もない会話をしながら、フェンスに寄りかかる。
正門近くの人は徐々にまばらになって、窓辺で感じた喧噪も、少しずつ弱くなっていった。
「昔は、全部ここから始まったのよね」
穏やかな声で、愛莉が切り出す。
「そうだね。ここで皆に出会って、ここでユニット名が決まって、ここで初配信をして……」
「そうそう。お互いの印象も、最初は本当に最悪で」
「私から見たら『勝手に屋上に上がり込んできて怒鳴り散らしてる先輩』だったもんね?」
「そ、そこまではなかったでしょ……」
「まあ、ちょっと盛ったけど。でも今は、本当に愛莉に助けられてるよ。ありがとう」
「どういたしまして」
あれも3年前って考えると、時間の流れって早いわね。
ハンカチを敷いて座り込みながら、愛莉が笑う。
「……それで、この3年間はどうだった?」
「……楽しかった、と思う」
そんな曖昧なことを言いながら、私も愛莉の隣に腰掛けた。
「結局3年の体育祭はどうしたの?」
「委員にはならなかったけど、時間がある時に委員長の子のフォローとかはしてたよ」
「そう。……2年で『実行委員長をやりたい』って相談してきたときは流石にびっくりしたわね」
「あれは……鳳さんと天馬さんにのせられて…………」
あれは、大変だった。
ぽろっと「実行委員長も楽しそう」なんてこぼしてしまったばっかりに一瞬で外堀を埋められてしまって……。
「ごめんね。あの時はあまり練習にも参加できなくて……」
「いいわよ。おかげで最後の体育祭も楽しかったしね」
「そっか。……うん。私も、あの時はすごく充実してたなぁ」
「いいことじゃない。……そうだ。修学旅行はどんな感じだった?」
「修学旅行か……あれも楽しかったな」
「ロッカーの鍵が壊れて、みのりが服も着れずに温泉に取り残されたんだったっけ?」
「そうそう。皆で慌てて服やタオルを貸してあげたら今度は逆にもこもこになっちゃって……」
「馬鹿正直に全部着なくてもいいのに……本当にみのりらしいわよね」
携帯で当時の写真を探しながら、あの時のことを思い出す。
あれから騒ぎを見ていた一般のお客さんが差し入れをくれたりして、最終的にまんまるもこもこで大量の飲み物を抱えるみのりが誕生していたりして……。
「本当に楽しかったなぁ。もう一度行きたいくらいで……」
……あ。
そうか。もう行けないんだ。
……私はもう、卒業してしまったから。
「……そっか」
体育祭の準備に追われることも。
自由時間にホテルの一室に集まってトランプをすることも。
中庭で皆で昼食をとることも。
屋上で、静かに本を読むことも。
もう、できないんだ。
「……っ」
そう気付いた途端に胸がどうしようもなく苦しくなって、悲しくなって――一滴頬を伝ったそれをきっかけに、ぽろぽろと、涙が溢れて止まらなくなる。
「……ごめん……あいり……っ」
「いいのよ。……全く、一体誰が『薄情者』なんだか」
早く落ち着こうと思うのに、どんどん思い出が浮かんでくる。
鳳さんに呼ばれて行った、フェニックスワンダーランドのこと。
皆と行った体育祭の打ち上げのこと。
天馬さんや星乃さんとのお泊り会のこと。
学校帰りにみのりと買った、シュークリームのこと。
「もう最後なんだって思うと……さみしくて……わかってたのに……!」
「……寂しいのは、終わりを忘れちゃうくらい幸せだった証。……だから今日は泣けるだけ泣いて、明日からまた皆頑張るのよ」
子どもみたいに泣きじゃくる私の涙を拭いながら、そう微笑む愛莉の姿は、とても強く、大人に見えた。
「卒業おめでとう。遥」
――その言葉は優しくて。
――その言葉が苦しくて。
初めて何かを「卒業」した私は。
どうしようもなく、ただただ泣いた。
◆ ◇ ◆
「そろそろ、落ち着いた?」
「うん。……まだ、油断すると泣きそうになるけど」
「まあそんなもんよね。もう少し落ち着いたらそろそろ出ないとね。雫も探さなきゃだし……」
「あ、結局連絡来てないんだ」
「最近ルームシェアだからいつも二人だし、雫の方向音痴度と機械音痴度を忘れてたみたいね……不覚だわ…………」
そんな会話をしていると、LINEに通知。
確認してみると、みのりからグループにメッセージが届いていた。
『MORE MORE JUMP!のマスコットキャラクターを考えたんだけど、こんなのどうかな!?』
……そこに映っていたのは、ネコとペンギンとウサギとクローバーを掛け合わせたと思われる、キメラじみたモンスター。
「「……」」
『却下』
『ええっ!? 愛莉ちゃんどうして!?』
『こんなの見たら子どもが泣くわよ!! ていうか卒業式になにやってるのよアンタは……』
『えっと、わたしもちょっと思ったんだけど……でも、思い立ったらすぐにでも作ってみるべきだと思いまして……!!』
画面の向こうに広がるのは、こんな日でも変わらない、いつも通りの皆の姿。
「……ふふっ」
「どうしたの、遥?」
「ううん。……変わらず続いていくものも、あるんだなって思って」
「……ええ、そうね。案外どんなことも、なんだかんだそうやって続いていくものよ」
「そっか。……少し、安心したかも」
『ありがとうみのり。でも、私もそのキャラは微妙な気がするな……』
『ええ~っ!? そんなぁ……!!』
『ところでみのり、雫見なかった? 連絡がつかないんだけど』
『雫ちゃんなら、近くの公園で見たってクラスの子が言ってたよ。スーツ姿でかっこよかったって!』
「あのバカ……!! 何をどう迷ったら敷地外まで飛び出すのよ!!」
聞き慣れた悲鳴を上げながら、スーツとは思えないスピードで愛莉が飛び出していく。
一人になった私はゆっくりと屋上を出て。
「……3年間、ありがとうございました」
最後に深々と礼をして――静かに、屋上への扉を閉めた。
2021/03/27 合同誌『桜並木で君を待つ』掲載作品
まだサークルを組んで皆で活動していたころ、サークル合同誌に掲載した作品です。
おそらくご存じない方も多いのではないでしょうか?
当時は「紙の本にした作品は再録しない」と言っていたのですが、3年で考えが変わり、こうして残すことに決めました。
人の目に触れる機会こそ少なかったですが、思い入れの深い作品の一つです。
これを書いた当時はまだプロセカも1年目のコンテンツで、卒業どころか進級の話もまだ出てませんでした。
あれから3年。この作品を書いたときみたいに気合で想像しなくてもいいくらい思い出が増えた一方で、
「卒業」という言葉がより重みを増してきたような、そんな気もしています。
どうか彼女たちに訪れる最後の日が、とびっきり素敵なものでありますように。