響く空白
人は、声から忘れていくらしい。
それならわたしが、彼女を忘れていくのも道理だと思う。
わたしのセカイにはもう、憧れを引き留める音がない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……『ストレスによる難聴』。難聴って言ってるけど、もうほとんど音は聴こえてないみたい。耳自体は正常だけど、それを受け取る脳がうまく動いてない、って感じらしいわ」
「……分からない。『本人の心持ちと努力次第としか言えない』って先生は言ってたけど……あんなのを目の前で見て、立ち直れるのかって言われると……」
「ありがとう、雫。無理してないって言ったら嘘になるけど……今わたしたちにできるのは、側にいてあげることだけだから、ね」
「……わたしが代わりになるかは、分からないけど」
「わかった。ありがとう、雫も無理しすぎないでね。それじゃ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
遥ちゃんが死んだ。
道路に飛び出した子どもを庇って、トラックに轢かれた。
即死だった。
遥ちゃんは、最後までとっても優しい遥ちゃんだった。
遥ちゃんをぐちゃぐちゃにしたあの音が、いつまでも反響して耳にこびりついていて。
そしてその耳鳴りと一緒に、世界から音がなくなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「■■■■、■■■」
目が覚めると、ベッドの側に愛莉ちゃんがいた。
膝に乗せていたノートパソコンから顔を上げ、笑いかけてくる。
……なんて言ってるのかは、分からない。
『昨日はよく眠れた?』
愛莉ちゃんが見せてくれたパソコンの画面には、そう書かれてた。
——うん、大丈夫だよ。ありがとう愛莉ちゃん。……わたし、今ちゃんと喋れてるかな?
『大丈夫。ちゃんと聞き取れるわよ』
愛莉ちゃんの笑顔。その優しい顔がなんだか暖かくて、少しだけ安心する。
——ごめんね愛莉ちゃん。迷惑かけちゃって。
『いいのよ。あんなことがあったばっかりなんだから。活動のことは私と雫でなんとかするから、今はちゃんと休みなさい』
——ありがとう。
……愛莉ちゃん、どんな声だったっけ。明るくて聞いてると元気になれる声だったはずなんだけど。雫ちゃんは……大丈夫。まだ、顔は思い出せる。
遥ちゃん。遥ちゃんは。
どんな声だったっけ。どんな、顔だったっけ。
思い出せるのはあの日のブレーキ音と、遥ちゃんの死ぬ音ばかりで。
一番忘れたくない音が、塗り潰されて掻き消えていく。
『みのり、顔色悪いわよ?』
——……ごめんね。ちょっとだけ、思い出しちゃって。
『忘れろっていう方が無理な話よ。気分転換に甘いものでも食べましょっか』
——どうして、遥ちゃんだったんだろう。
席を立とうとする愛莉ちゃんの動きが、ぴたりと止まる。
——ごめん、わたし、変なこと言っちゃった。
『いいのよ』
『私も、同じことを思ったから』
その文をわたしに見せて、今度こそ愛莉ちゃんは席を立った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
愛莉ちゃんが持ってきてくれたのは、カラフルなマカロン。
ピンク色を一口頬張ると、やさしいいちごの甘さがふわりと広がっていく。
『おいしい?』
——うん。ありがとう、愛莉ちゃん。
『他にも食べたいものがあったら今度買ってくるから言いなさいね』
——他に食べたいものかぁ……。
『私や雫が買える範囲のものでね』
——じゃあ、シュークリームが食べたいな。
『オッケー。考えとくわ』
……あれ、せっかくならサーモンのお寿司とかの方が良かったかな?なんで、シュークリームが最初に出てきたんだろう。
■■■■■。■■、■■■■■■■■。
■■■■■?
■?
何か、くすぐったくなるようなことが、あった気がする。
『みのり、どうかした?』
——あ、ううん。なんでもないよ。……えっと、もしよかったらサーモンのお寿司も食べたいなぁ、なんて……。
『よくばりね。でも考えといてあげる』
——えへへ。ありがとう、愛莉ちゃん。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『それじゃあ、そろそろ帰るわね』
——うん、ありがとう愛莉ちゃん。
『寂しくなったらLINEするのよ。私も雫もちゃんとチェックしてるから』
そう書き残して、愛莉ちゃんは帰っていった。
静かな部屋に、わたしだけが残される。
なんとなくイヤホンをつけて、スマホに繋いでみた。音楽アプリを開いて、お気に入りの一番上。遥ちゃんのソロ曲を流してみる。
……相変わらずわたしの耳は、遥ちゃんの声を捕まえてくれない。
——♪
大好きだったその曲を口ずさむ。ちゃんと歌えてるか教えてくれる愛莉ちゃんはもういない。曖昧なメロディーが、少しずつほどけて、消えていく。
……遥ちゃんは、どうやって歌ってたっけ。
——人は、声から忘れていくらしい。
繋ぎ止める音のないこの世界で。
また一つ、■■■■が、煙になった。
2021/05/10 投稿作品
めったに書かないバッドエンドもの、それも死ネタの作品です。
珍しいので自分の中でも記憶に残っている作品ですが、
この作品を書いたときはいろいろと疲れ切っていた気がします。
やっぱり不調だと、作品にも反映されてしまいますね。少々振り切れすぎにも感じはしますが……。
本文中にもある通り、人は声(聴覚)から忘れていくらしいです。
この作品もその言説から生まれたものになります。
逆に、一番最後まで覚えていられるのは嗅覚なのだとか。
……信憑性は怪しいですが、創作のしがいがあるネタではありますよね。