3.2秒

 最後のサビが始まる、3秒前。
 世界が突然、ゆっくりになった。

 引き延ばされた時間の中で、見える景色が、聴こえる音が鮮やかになる。
 客席から応援してくれる、1人1人の顔が分かる。後ろにいる愛莉ちゃんと雫ちゃんの足音が響き渡る。初めてファンだって言ってくれた、あの子の姿を奥に見つける。上手の遥ちゃんの、息づかいが聴こえる。

 身体がかっと熱くなって、でも、心は透き通るみたいに静かに高鳴っていく感覚。
 指の先まで思い通りに動いていく。今なら、なんだってできそうな気がする。
 こめかみのあたりでバチバチと火花が鳴る。おでこの奥で何かが弾ける。
 このままおかしくなっちゃいそうで怖い。戻れなくなっちゃいそうで、すごく怖い。怖い、けど。

 もっともっと、この先の景色を見てみたい。


 サビに入るまであと2秒。
 息を吐いて、喉の調子を確かめる。心の底で眠っていたわたしが、早く歌わせてって笑ってる。
 一歩一歩ステップを踏む。センターまでの距離を縮める。まだ、目立たないように。愛莉ちゃんと雫ちゃんが、みんなの視線をわたしたちに向けてくれるまで。
 遥ちゃんの姿が大きくなる。やっぱり遥ちゃんは一つ一つの動きが指先まできれいで……でも今なら、遥ちゃんが何を考えてるのか、全部ちゃんとわかるよ。


 1秒前。
 すれ違う瞬間、遥ちゃんと目があった。一瞬驚いたその後に見えたのは……火花の散る、負けず嫌いの笑顔。
 遥ちゃんって、こんな顔もするんだ。初めて見る遥ちゃんにドキドキして、こめかみに響く痺れが、もっと強くなる。

 うん。でも、わたしも負けないよ?

 2人の呼吸が重なる。混ざり合って溶けていく感覚。
 遥ちゃんのやりたいことが、自分のことみたいに分かるから、ふしぎ。
 だから完璧に合わせてみせる。ここにいる全員の視線を、私たちに惹き付けるために。
 世界が、もっとゆっくりになる。身体中がパチパチと痺れて、でもいつもより思い通りに動く、変な感覚。

 ほとんど2人だけの世界で、一緒に大きく息を吸い込む。
 このワンフレーズで、もっともっと高く飛ぶために。


 ――0秒。

- Afterword -
2021/05/13 「みのはる100ラリー」53本目

高校、大学と舞台に立つ類の部活をやっていたので、
ステージの上から見える景色だとか、ステージ上の世界の話とか、
そういうものには少し思い入れがあります。

とても心は高揚していて、だけどそれと裏腹に思考はどこまでも冷静で。
頭の奥がぱちぱちとするような瞬間が、舞台上には確かに存在するんです。
そんな気持ちを込めた作品です。
質は別としても、とりあえずそれなりに好きな景色は描けたのではないかと。