届かぬ声なら泡となれ
探し人は、教室の隅の席にいた。
「みのり……」
声をかけようとして、とっさに口を噤む。みのりは机に身体を預けて、静かに寝息を立てていた。
夕方の教室には他に誰もいない。誰か起こしてあげればよかったのに、とも思ったけど……この天使みたいな寝顔を見ていると、確かに起こすのは忍びない気もしてくる。前の席には「戸締りして職員室に返しといてね!」という書置きと一緒に教室の鍵が残されていた。
「最近頑張ってたもんね」
ここ1,2週間のみのりは、企画出しも配信も練習も、特に気合が入っていた。そのお陰もあって最近のチャンネル登録者数も今までにないペースで増えていってる。……そんな中での今日のオフだから、ちょっと気が抜けちゃったのかも。
……みのりは、本当に頑張ってる。
皆に希望を届けたい。応援してくれる人に精一杯のお礼がしたい。私たちみたいな、アイドルになりたい。そんな思いが、みのりをいつまでも突き動かしてる。
日を追うごとにその頑張りはすごくなってて。……無理をしてないか少しだけ心配だけど、それ以上に、私もみのりの頑張りに報いたいって強く強く思うようになった。
いつからだろう。
その想いに、違う色が混ざり始めたのは。
私を見る、キラキラした瞳のみのり。コメントを見返しながら一人で反省会をする、真剣な目のみのり。今ここで無防備に夢を見る、そんな可愛いみのり。知らないみのりに出会う度に早くなる鼓動に気付いたのは、ここ最近のことじゃない。
日に日に強くなる息苦しさと、もっとみのりに触れたいという忘れたい想い。その正体が分からないほど、世間知らずでいられればよかったのに。
「みのり」
眠っているみのりを起こさないように、小さな声で彼女の名前を呼んだ。誰もいないこの場所ですら、続けたい言葉は喉につっかえて出てこない。
『あの客席の光が海だったら、そこで歌う遥ちゃんは人魚のお姫様だね!』
いつかみのりから言われた言葉を思い出す。
ねえ、知ってる? みのり。人魚姫って、最後は想いを伝えられないまま泡になっちゃうんだよ。……どうせなら私も、いっそ泡になれれば楽になれたのに、ね。
「ねえ、みのり」
夕陽を受けてキラキラと煌めく、彼女の髪をそっと掬った。
……泡になれないなら、せめて貴女を殺せたら。私に「憧れて」くれる、私の「友達」でいてくれる貴女を殺せたら。私は全部忘れて海に戻れるのかな?それとも、こんな汚くて気持ち悪い私に刃を通せば、私たち、出会った頃みたいに戻れるかな?
なんて、どっちもできる勇気もないくせに。
だから、せめて貴女の頬に――ナイフの代わりに、目覚めのキスを。
「うぅん……あれ、遥ちゃん?」
「おはようみのり。ぐっすりだったね」
「え、え!? わたし、もしかして寝ちゃってた!?」
「うん。日直の子、そこに書置き残してくれてるよ」
「ほんとだ……!! 遥ちゃんありがとう、すぐに帰る準備するね!」
「ゆっくりで大丈夫だよ。今日は私も予定ないから」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ねえ、遥ちゃん。
わたし、本当は分かってるんだ。
遥ちゃんがわたしに対して思ってること。
遥ちゃんがわたしに、本当に言いたいこと。
それが喉につっかえて言えないことも、代わりにわたしをキスで起こしてくれることも。
遥ちゃん。
ほんとうは、わたしも同じ気持ちだよ。
遥ちゃんの特別でいたい。遥ちゃんと特別でいたい。
遥ちゃんといると胸がドキドキして……どうしようもなく、苦しいの。
でもね。わたしも、喉につっかえちゃって出てこないんだ。
「遥ちゃん」
大好きだよ、って言葉が。もっと一緒にいたい、って言葉が。
きっと前なら言えたはずの言葉が、出てこない。
きっとそれはわたしが、遥ちゃんと同じステージに立っちゃったから。
応援してくれるファンの皆が増えて……わたしも、海を泳ぐ人魚に、なったから。
「どうしたの、みのり?」
「……荷物、まとまったからいつでも帰れるよ!」
「そっか。じゃあ帰ろっか」
「うん!」
……地上で出会わなければ、わたしたち、素直に言葉にできたのかな。
なんて、そんな想いもつっかえて消えて。
せめてキスのお返しに。精一杯の想いを込めて、遥ちゃんの手を強く握った。
2021/05/23 「みのはる100ラリー」63本目
「海」というモチーフはみのはるにとって重要なものだと思っていて、
それに関連して、「人魚姫」というモチーフもよく掛け合わせてしまいます。
この時期は特にですね。
アイドルという在り方は、捉えようによっては一つの足枷だと思います。
2人がそれを「煩わしいもの」としてとらえることはないでしょうし、
そういう前提で描いてしまうのも2人対する冒涜だとは思うのですが。
それでも2人の関係を「そういうもの」として描くのであれば、
決して避けられない問題でもありますよね。
常に、アイドルという存在には誠実に向き合いたいところです。