ポスト・クレジット
……最後のライブが、終わった。
フィナーレとしては十分すぎるくらいのステージだった。
超満員のドームに、信じられないほどのファンが訪れて。私たちの声に、歌に答えるように客席に色が灯る。
緑に桃色、青と、そしてオレンジ。
あの時はもう見れないと思っていた光の海は、今でも変わらず目の前にあった。……ううん、むしろあの頃よりもずっと表情豊かで、たくさんの熱を秘めていて、綺麗だった。
「「「「ありがとうございました!!」」」」
4人手を繋いで、深々とその景色に頭を下げて……最後にそっと、マイクを置いて。
そうして——私は三度、普通の女の子になった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……身体の火照りが、おさまらない。
あの後、撤収作業をして、打ち上げもして、そうして全部終わって家に帰ってきたけれど……あの光の輝きがまだ網膜に焼き付いて、あの魂を燃やすような熱がまだ身体中を駆け巡っていて、寝付けない。
外に出て涼んでみても、ストレッチでクールダウンを試みても、微塵も治まる気配がなくて……ふと気付いたら、なんとなく部屋の中をうろうろしてしまう。
最後のライブとしては、十分すぎるものだった。歌いたい歌もやりたい演出も全部詰め込んで、たくさんのファンに見送られて、大切な仲間と並んで舞台を降りる。世界中見渡したって、こんなに幸せなアイドルはそうそういない。今この瞬間私はアイドル史において一番幸福なアイドルだって、自信を持って言える。
「――♪」
それでも尚この喉から零れ落ちるのは、はじまりの歌。
あの子がはじめて私にくれた、希望の唄。
あの日みのりから貰った灯火が。
あの日みのりが取り戻してくれた明日が。
今でも私の心を燃やして、もう終わった何かへと突き動かす。
私はまだ、あの海の中で溺れていたいらしい。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……流石に、誰もいないか」
深夜2時のセカイはしんと静まり返っていた。
ミクもリンも誰もいない、照明の落ちたステージだけが私の視界に映る。……役目を終えたかのように眠る世界の中、握りしめた両手に力が入るのは、満足感だけが理由ではないはずだ。
パイプ椅子が並ぶ客席の間でゆっくりと歩を進めながら、これまでのことを思い出す。
フリーのアイドルだなんて、今考えても大変な道を選んだと思う。5年前はフリーでやっていくなんて考えすらできなかった。それが今では、フリーという道を選んだ子たちが私たちの後ろにたくさんいる。……本当に、愛莉の真剣で柔軟な考えには何度も助けられた。彼女がいなければ凝り固まった自分の思考に気付くことすらできなかったし、尋常じゃない事務作業に忙殺されてアイドルどころじゃなかっただろう。愛莉がいなければ、行き止まりになっていた瞬間がいくつもある。……やっぱり愛莉は頼れる仲間で、尊敬できる先輩だな。
この5年間で、肩の力を抜くことも随分上手くなったと思う。自分の些細な不調にも気付けるようになったし、お気に入りのカフェも増えたし、何より友達と遊びに行く機会も増えた気がする。昔より少しだけ心が軽くなって、たくさんの繋がりが私を支えてくれる。私がこの終わりを素敵なものだと思えたのは、アイドルでない私が満たされるようになったから、というのもあるだろう。……思えば私の、皆の不調に真っ先に気付くのはいつだって雫だった。私自身ですら気付かない無理や違和感をすぐに見つけて、手を差し伸ばしてくれる。ファンに希望を届けながら、私たちにもまっすぐ向き合い続けてくれた彼女が見せてくれた景色も数えきれないほどあって……私がこうして最後まで走り続けられたのは、そんな雫の優しさがあったからだと思う。
……真依は。真依は、舞台女優として新たな一歩を踏み出し始めた。最近では地上波のドラマなどでも少しずつ見かけることが増えてきて、舞台の方では主演を張ることも出てきたらしい。
「遥ちゃんたちにも、見に来てほしくて」
4年振りに呼び出された喫茶店でそうチケットを差し出された時、私の中にあったのは安心と、ほんのちょっとの救いだった。
私が再び希望を届けるようになった後も、彼女が再び歩み始めた後も、2人の間に落ちてしまった「希望」は取り戻せないままで。だからこそあの一言で、あの手に掴んだ4枚分のチケットで、欠け落ちた最後の光を取り戻せた気がして。
「遥ちゃんも頑張ってるし、私ももっと頑張るよ!」
なんて言って笑う彼女の幸せを願おうだなんて……流石にまだ、虫が良すぎる話だろうか。
数えきれない出会いが、かけがえのない希望が、救いが、「桐谷遥」を形作る。
……そして、いつだってその中心にいたのが。私を廻す、この心臓が。
「みのり」
「ふぇっ!?」
「……へ?」
返ってくることを想定してなかったその聞き慣れた声に、思わず変な声が出てしまう。
横に視線を向けると……客席の最前列、目を見開いて口をあわあわさせるみのりがいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「みのりも来てたんだ」
「うん。なんだか興奮して眠れなくって……」
「そっか。……実は私もなんだ。お揃いだね」
最前列の中央、ステージが一番よく見える席に、みのりと二人腰掛ける。
2人だけでこうして座って話す機会は、特に最近はあまりなかったっけ。
「なんだか、合同ライブの時を思い出すなぁ」
「合同ライブ……そういえばみのり、ドキドキして夜眠れなくて、次の日眠そうだったよね」
「えへへ……それで結局遥ちゃんの肩を借りて寝ちゃって……今思い返すと、ちょっと恥ずかしいな」
頬を染めながら目を逸らす姿に、あの頃のみのりの姿が重なる。
こういう恥ずかしそうなみのりは、随分久しぶりに見た気がした。
——5年間という歳月は、「花里みのり」を名実共に国民的アイドルまで成長させた。ダンスの腕は他のアイドルと比べても遜色なく、歌声に至っては比肩するアイドルがいない程に洗練された。
今やこの世界に、彼女がアイドルであることを疑う者はいないだろう。何よりどんな困難にも立ち向かい誰をも惹きつけるその姿は、数えきれない程の人々にとって「希望」となっていた。
そんなみのりの成長が嬉しくもあり……一方でアイドルの世界で初めて触れること一つ一つに目を輝かせたり、慌てふためいたりするあの頃のみのりが少し恋しくもあり……。
「遥ちゃん? どうしたの?」
「ああ、ごめん。みのりとこうして2人で話すの、久しぶりだなって思って」
「たしかに……! 最近はソロのお仕事も多かったしね!」
4人で過ごすことはあれど、2人きりというのは随分少なくなった。
大学生にもなるとスケジュールもなかなか合わないし、みのりの言う通りソロの仕事も増えてきて、一緒に帰るということもほとんどなかった。
だから私はこうして穏やかに笑うみのりを久しぶりに見たし……正直に白状すれば、私は今のみのりのことをほとんど知らない。
指先に熱が灯る。
心臓が強く脈打つ。
……その理由にも、私はもう辿り着いている。
「ねえ、遥ちゃん」
立ち上がり目を合わせるみのりに、蒼い焔。
きっと私たちに、それ以上の言葉はいらなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
衣装もない。照明もない。色も音も眠る深海の中、みのりの隣で息を吐く。
「曲は何にしようか」
「うーん……静かだし、落ち着いた曲の方がいいのかもしれないけど……」
「なんだかそんな気分でもないよね」
月明かりだけが照らすステージの上で、みのりの心音だけが聞こえてくるような感覚。
「だったら、あの歌がいいな。わたしが初めてステージで歌った歌!」
「そうだね、私も同じこと思ってた。……みのり、いける?」
「うん、もちろん!」
それじゃあ、みのりのタイミングで始めて?
そう投げかけて、私はみのりと向かい合う。これは遊びでも練習でもない、観客が2人だけのライブステージ。最後の忘れ物を拾いに行く、私たちの延長戦。
心臓は痛いくらいに跳ねていた。始まってすらいないのに汗が頬を伝って、指先がぴりぴりと痺れだす。
2人、大きく息を吐いた。
灰色が私の瞳を射抜く。BPM127、つま先でリズムを取って、そして。
「――――♪」
天使の声が、静寂を裂いた。
……私とみのりは、2人で同じステージに立ったことがない。
愛莉と雫を交えて4人で立つことや、ミクと一緒に3人で立ったことはもちろん数えきれないほどある。高校を出て仕事に割ける時間が増えてからは、それぞれ1人で立つことだって何度もあった。
でも2人だけのステージは一度もない。私は「アイドルの花里みのり」に、一人で向き合ったことがない。だから私たちには必要だった。憧れも救いも希望も全部受け止め合う舞台が。エンドロールが終わった後の、ただ一つのもう一度
が。
「――♪」
みのりの右手が私を指差す。つい先刻まで数万人に向けられていたその視線が、私一人に突き刺さる。
重い。重い。私が見込んだ少女は私の想像を超えるほど多くの人々に愛されるアイドルになった。その努力は、想いは、私だけで受け止めるにはあまりにも大きすぎるように感じて、首を締められるような錯覚すら覚える、のに……
真っすぐ私を見つめるその瞳の中で、蒼い星が何度も煌めく。
……最初に出会った時からずっと変わらない。今でもみのりは私に手を伸ばし続けてる。私とみのりの本質は変わらないのに、それでもみのりはどんどん前へと進んでいく。
それが悲しくて悔しくて苦しくて、楽しくて嬉しくて愛しくて!
私の身体が、こんなにも熱を持って止まらない!!
「――――♫」
私だって負けてない。この歌も、この眼も、この想いだって。だからこのパフォーマンスに私の全部を乗せる。あの頃のみのりなら気を失って倒れちゃってたかもしれないけど……今のみのりなら、ちゃんと受け止めてくれるでしょう?
「——♪——!」
「————♫——!!」
歌声を貰う。指先で返す。視線を貰う。鼓動で返す。希望と想いの終着駅、遠い遠い海の底、2人の音だけが色づいては弾ける。
ずっと夢見ていた。私の隣にいてくれたみのりに、私の希望でいてくれたみのりに、伝えたいことがたくさんあった。始まりの日、青い海の中でみのりがそうしてくれたように、届けたい想いがたくさんあった。
だからまだ。まだ足りない。もっと歌っていたい、もっと踊っていたい。この消えない灯火も、終わらない希望も! みのりの全てを受け取って、私の全部を投げつけて、そして、そして、そして——!!
「「————」」
——そして、唄は重なった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その蒼は、確かに2人の中に。
小さな小さな海の中。
私
の歌は繋がって、
熱に浮かされ溶け合って。
——そうしてふたり、泡になる。
2022/02/01 「みのはる100ラリー」95本目
みのはるを100本打ち合っていく企画「みのはる100ラリー」への投稿作品です。
この企画は原則としてお題リストからランダムにお題が決まるのですが、
5の倍数の作品だけは、残ったお題から自分でお題を指定することができます。
95本目は、奇数回担当の私にとってお題が指定できる最後の機会。
選んだお題は「そして二人泡になる」です。
このお題をリストに入れたのは私自身なのですが、
開始前に入れた時には、人魚姫みたく本当に泡になってしまうような、
バッドエンドのような話を想定していました。
ただたくさんみのはるを書き、企画としても終盤になるにつれて、
なんとなくバッドエンドにしてしまうのが気に入らなくなり……。
どうせならうんと素敵な話をと書いたのがこの作品です。