無題
……財布を、忘れた。
まさか大学3年生にもなってこんな失敗をするとは思ってなかった。昼休みで人の出払った研究室で、唸り声を上げながら机に突っ伏す。元国民的アイドルがこんなことしていたら幻滅されるだろうか? まあでも、どうせ部屋には誰もいないんだから少し世界を呪うことくらい許してほしい。
学生証は手元にあるから授業は困らないけれど、このままじゃお昼ご飯にありつけない。学生証のプリペイドにはお金を入れてないし、定期用のICカードも今は残高が2桁だったはずだ。つまり私は正真正銘ほぼほぼ無一文ということになる。
珍しく朝がばたついていたからっていつもしてるお弁当の用意をサボったのがこんな形で響いてくるなんて思ってもいなかった。これまた珍しく朝ごはんを抜いてきたせいでどうしようもなくお腹が空いて仕方がないのに、今の私にはこの飢えをしのぐ手段がない。
「はぁぁ……」
ため息をかき消すようにお腹の音が鳴って、そのせいでさらに大きなため息が出る。とにかくこのままだと午後の授業に支障が出る。なんとかしないと……。
そういえば、みのりは今日全休って言ってたな。レポートを終わらせて企画書も書くって息巻いてたっけ。……家にいるだろうから10分くらいで財布を持ってきてもらうこともできるだろうけど、頑張って作業してる邪魔をするのも申し訳ないな。
研究室の同期か、それか教授にお金を借りる?ここの人たちは皆優しいから、事情を話せば頭を下げれば快く貸してくれるかもしれない。……いや、これも良くないかな。そもそも皆既に昼休みで外に出て行ってしまったし、戻って来るのを待っていたら時間がなくなってしまうかもしれない。そうなったら本末転倒だ。
それじゃあ研究室以外でこの大学の——例えばこはねとかに助けてもらう? ……いや、これは一番良くない。こはねが今日来ているかも分からないし、何よりこはねという人選がよくない。巡り巡って杏にでも知られたりしたら癪だ。
……やっぱり、みのりに持ってきてもらうのが一番かな。できればあまり迷惑はかけたくないけど、同時に私が今一番気兼ねなく迷惑をかけられるのも、またみのりだったりするのだ。スマホを取り出して、レポートを進めているであろう彼女にメッセージを送る。
『ごめん、みのり。財布を忘れちゃったから、大学まで持ってきてもらえないかな?』
返事はすぐに返ってきた。
『うん! もうすぐ着くよ!』
……えっ? 早すぎない?
そう考えるより僅かに早く研究室にノックの音が響く。ドアを開けるとそこには、やっぱりみのりの姿。眼鏡と後ろで束ねた髪を見るに、ほとんど身支度もせずに飛んできてくれたのだろう。よく見ると来ているパーカーもいつも家で着ているものだった。
「ごめんねみのり、もしかして連絡する前にはこっちに来てた?」
「うん! テーブルの上にお財布が置きっぱなしだったから、遥ちゃん困ってるだろうなって思って!」
そう言いながら、みのりがトートバッグから物を取り出していく。手渡されたのは求めていた財布と——
「……これ、お弁当?」
今日は準備してなかったはずの、ペンギン柄の巾着袋。中を見れば予想通り、同じ柄のお弁当箱が入っていた。
「えへへ……遥ちゃん朝ごはんも食べてなかったし、お腹空いてるだろうなって思って……」
「それじゃあ、これは」
「わたしの手作りだよ!」
……嬉しいというか、申し訳ないというか。ということは午前中はずっと私のためにこれを作ってくれてたということだろうか。みのりの優しさが本当にあたたかくて、なんだかこれだけでお腹がいっぱいになっちゃいそうだ。
「ありがとう、みのり。大切に食べるね」
「そ、そんな大層なものじゃ……!」
それじゃあ、お昼もがんばってね! 遥ちゃん!
そう言い残して、みのりはとてとてと研究室を去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
再び静けさを取り戻した、一人きりの部屋。
巾着袋からペンギン柄の弁当箱を取り出して、蓋を開ける。
最初にまんまるなお顔のペンギンと目が合った。となりにもう一匹ペンギンさんがいて、数瞬してこれがおにぎりとのりで作られたものだと気付く。
2匹のペンギンおにぎりと、魚をかたどった卵焼き。たこさんウインナーも入っていて、トマトとレタスで彩りも添える。とても朝唐突に作り始めたとは思えないくらい素敵な出来で、なにより……
「か……かわいい……!!」
思わず口角が緩んでしまう。きっと元国民的アイドルがしちゃいけない顔をしてるのだろうけど、もはやそんなことは欠片も気にならなかった。
本当に、食べるのも勿体無いくらい可愛い……。今日だけだと言わず毎日でも作ってほしいくらいだ。いやでも炭水化物の量を考えると毎日は良くないのかもしれないし、なにより毎日はみのりの負担が……。
……週1くらい……週1くらいならみのりも許してくれないかな? ちょっと我儘がすぎるかもしれないけど、でも今一番気兼ねなく我儘が言えるのはみのりだし……なんて、流石にちょっと甘えすぎだろうか。
ふと時計を見ると12時半。
そうだ、こんなよからぬことばかり考えてる場合じゃない。まずはちゃんと、ご飯を食べないと。
目を閉じて、しっかり手を合わせる。全てのいのちと、ペンギンさんと、大好きな彼女に感謝を込めて。
「いただきます」
2022/06/19 投稿作品
特にタイトルなどはない作品です。
次の日が誕生日でいろいろとやることがあったので、タイトルを考えてる暇がなく……。
サイトに乗せるとなると「無題」では検索性に欠けるので、この場でタイトルをつけることも考えましたが、
あまり過去の作品に適当に意味を付け加えるのはよくないだろうと思い、このまま掲載することにしました。
みのはる同棲概念、いいですよね。
定期的に書いてみたくなるテーマです。