サンセットルーム
「プリント、見つかった?」
「うん!やっぱり机の中に入れっぱなしだったみたい!」
クリアファイルを片手に、振り返るみのりがにへらと笑う。どうやら探し物は見つかったらしい。明日の宿題というのだから、見つからなかったら一大事だ。
みのりの笑顔にほっと胸を撫で下ろしながら……同時に、終わってしまうこの2人きりの時間が、ほんの少しだけ苦しくなる。
みのりが、少しずつ遠くなっていく。
別に私のものだなんて自惚れていた訳じゃない。みのりはきっとすごいアイドルに、皆に愛されるアイドルになるってずっと信じてて、そしてその予感はどんどん現実になっていった。
今はたくさんのファンがみのりを応援してくれる。たくさんの声援がみのりに力を与えてくれる。それが私は本当に嬉しくて、
それが、本当に寂しくもあって。
嫉妬や僻みの心配ばかりをしていた。みのりが多くの人々の心を掴んでいくことを、同じアイドルとして祝福できなくなる日が来るんじゃないかと、そんなことだけ考えていた。アイドルの在り方を、私たちのやりたいことを考えればそんなことはあり得ないって自分に言い聞かせて、実際に今はその通りになっている。みのりのことを僻んだりなんてするものか。一人のアイドルとして、彼女の側で歌えることを誇りにさえ思うのだ。
……そう。だから、この寂しさは。
アイドルじゃなくて、一人の少女のもの。
「遥ちゃん? どうしたの?」
「……ごめん。今日は夕日が綺麗だな、なんて思って」
嘘をついた。
本当は貴方の横顔に見惚れていたの。夕暮れが溶け込むように煌めくその髪が、あまりにも綺麗だったから。
午後6時の教室には誰もいない。廊下も、校舎も、眠るように静まり返っては、私たちを世界から切り離す。
「ほんとだ! なんか、いつもより綺麗な気がするね!」
……ああ。本当に、綺麗。
アイドルとしての笑顔じゃない、一人の友人としての、ふにゃりとした笑顔。別に特別なものではないのだろう。それはきっとこの教室にはいくらでもありふれているもので、私以外にとっては、そう気に留める程でもないものなんだと思う。
けれど、寂しがりやの私の心は、そんな些細なことですらじんじんと痛んで……もっと独り占めしたいなんて、そんな我儘をこぼし始めるのだ。
「……遥ちゃん?」
「……ごめん、今度は考え事をしてて」
今度は半分だけ嘘をついた。
考え事というよりは泣き言だ。同じ痛みと結論を、味がなくなるまで延々とこねくり回してる。吐き捨ててしまえれば楽なのに。それなのに、その銀鼠と目が合うたびに弾ける微かな甘味が、忘れられなくて。
「どんなこと考えてたの?」
「週末の文化祭のこと。どこ回ろうかなって思って」
「そっか! もう今週だったね。楽しみだな〜!」
窓際の席にぺたんと座るみのりにつられて、私も近くの椅子に腰を下ろす。
こうなってしまえば、そうそう今すぐ帰るなんてこともないだろう。もう少しだけ、日が沈みきってこの魔法の時間
が終わるくらいまでは……この2人きりの世界で、「私のみのり」でいてくれる、なんて。
「みのりはどこに行きたいの?」
「まずは杏ちゃんたちのカフェかなぁ。あとは縁日みたいなのもあるみたいだから、そこも行ってみたいかも! 遥ちゃんは?」
「私もまずは杏のクラスのカフェかな。あとはこのわたあめ屋さんも気になるかも」
杏から送られたパンフレットの写真をぼんやりと頭に浮かべて、地図に一つ一つピンを立てていく。
愛莉や雫とも一緒に行く予定だけど、2人は2人で別に会う人がいるって言ってたっけ。それなら途中からは別行動になるのかもしれない。
みのりと2人で回る、知らない校舎を想像する。かわいいクマのわたあめを前に「食べられないよ〜!」なんて悲鳴を上げたり、縁日で後ろから私のことを応援してくれたり、するのかな。きっとしてくれるんだろうな。だってみのりはとっても、素直で、優しくて——。
大切な友達だから。
それだけで、満足できていたはずだ。
出会った頃から、私はみのりにとって特別な存在だったはずだ。求めなくたって、たくさんの表情を見せてくれてたはずだ。それなのにこれ以上が欲しいだなんて、もっともっと私だけがいいだなんて、我儘以前に無理がある。
そうだ。いつまでも、夕暮れの教室に閉じ込めるわけにはいかないのだ。今日が終わればさようなら、そうしてまた私たちは希望を届ける。誰かのものじゃない、アイドルとして。
(——それとも、「好きです」なんて言って)
そうすればこの教室に、鍵でもかけられただろうか。
「遥ちゃん」
「ああ、ごめん。もうそろそろ帰ろうか」
……少し考えすぎてしまった。あんまり呆けているとみのりが心配してしまう。
軽く顔を左右に振って、余計な思考を振り切る。
文化祭楽しみだね。明日も朝練あるし早く寝ないと。生配信の企画はどうしようか。寒くなってきたから風邪を引かないようにね。夕暮れの外でする話をいくつも頭に浮かべて、教室を去るために数歩歩く。そうしてこの時間を終わらせようと、くるりと振り返って。
振り、返って。
夕日はほとんど沈みかけた、今日という日の終わり際。断末魔のように紅く染まる空を背に、彼女は立っていた。
揺れる髪は茜色を纏い、銀色の瞳は陰の中でも微かに瞬き、まっすぐ私を見つめる彼女は……「天使」なんて言葉で片付けるにはあまりに憂いを帯びていて、何よりあまりに綺麗すぎた。
いや、それは本当に「憂い」だったのだろうか。私はその姿を見たことがある。私はその目を見たことがある。蒼い蒼い海の中で見た——あの、私を救い上げる目を。
「ねぇ、遥ちゃん」
どうして、気付かれたんだろう。ぽつりと漏れてしまったのか、顔に出てしまっていたのか。
頬が熱を持って、どくどくと鼓動が早まって。でもそれ以上に、何度も心を奪われたその目が愛しくて、どうしようもなく泣きそうになった。
貴女と教室から出るために、貴女の友達でいるために、ずっとこの気持ちを誤魔化してきたのに。どんなに深く潜っても、どんなに深く沈んでも、その目と一緒にこの手を掴んで連れ去っていく。
「わたしはずっと、待ってるよ」
——私の気も、知らないで。
本当に、みのりは、優しいね。
かちり、と。教室の鍵が閉まる音がした。
2022/11/06 投稿作品
1日の中で、夕暮れ時が一番好きです。
夕焼けの赤と夜空の青の隙間で空が黄金色に染まるあの特別な時間を「マジックアワー」と言うそうで、
その名前を知った時、元々好きだったその空がもっと大好きになりました。
そして、この子たちに出会った時にも。
サイトへ掲載するために過去作を纏めている過程で気付いたのですが、
こういう教室などにふたりきりというシチュエーション、しばしば出てきますね。
やはり癖には抗えないというか……。