霖と体温
「……雨だ」
窓を叩くその音に気付いたのも束の間、まさに堰を切ったかのように降り出した雨が、ガラス越しの景色を塗り潰した。
雨は好きかと聞かれると、かなり微妙な気持ちになる。
まず、ランニングがしにくい。今日みたいに土砂降りだと中止にせざるを得ないし、決行したとしてもやはり濡れたランニングシューズと肌に張り付くウェアの感触はあまり心地いいものじゃない。
次に洗濯物が乾かない。特にゲリラ豪雨が天敵で、たった今この瞬間も、こうして哀れびしょ濡れになってしまった洗濯物たちを洗濯かごに戻している。籍を入れたことで数年前の倍になった衣類たちは洗濯するのも一苦労だ。その努力をフイにされてもう一度させられるというのは……流石に、ちょっと心が沈む。
そして、雨が好きになれない最大の理由……それは、きっとあと5分もすれば帰ってくるだろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
お風呂にお湯を張って、ついでにバスタオルを2枚ほど脱衣所から拝借。
玄関へ向かってバスタオルの1枚を丁寧に敷き終わった頃、タイミングを見計らったように彼女が帰ってきた。
「た、ただいま〜……」
……頭の先から爪先までびしょ濡れ。髪も服も身体にぴったり貼り付いて、必死に抱き抱えて守り抜いたのであろう鞄だけが雨を浴びずにぴんぴんとしている。
正に捨てられた子犬のような、悲惨な姿になったみのりがそこにいた。
「おかえり。お風呂沸いてるから、早く入っておいで」
「うぅ……ありがとう遥ちゃん……」
わしゃわしゃと頭と身体を簡単に拭いてあげて、哀れな子犬をお風呂へ送り出す。
雨降り限定の、私たちの新たなルーティンだった。
天気雨の多いこの時期は、しょっちゅうみのりが狙い撃ちされてびしょ濡れで帰ってくる。「遥ちゃんと結ばれた時に運を全部使い果たしちゃったんだ」とはみのりの弁だけど……結婚した途端みのりの不運が強くなってはなんだか私が疫病神みたいで落ち着かないし、それに雨に打たれてみのりが風邪を引いてしまっては一大事だ。
そんなわけでみのりをいじめるゲリラ豪雨は私にとっての仇みたいなもので、私がいまいち雨を好きになれない一番の理由になっていた。
……ただ。どうしても嫌いになりきれないのも、また事実だったりして。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
10分も経てば雨も止み、いつの間にか上った月が雲の隙間から顔を覗かせ始めた。
あまり遅くなりすぎないように、私もご飯の支度を始めていく。
フライパンに火をかけたあたりで、微かにお風呂場のドアが開く音が聞こえた。案の定しばらくして、寝間着になったみのりがとてとてと歩いてきて……。
「あっ、みのり——」
……そのまま、ぴとりと私の背中にくっついた。
「みのり?」
「遥ちゃん、何作ってるの?」
「……生姜焼きだよ。ちょうど豚肉が安かったから」
火を使ってて危ないし引き剥がそうかとも思ったけど、結局甘やかしたい気持ちが勝ってしまった。代わりに危ないことにならないように、火の扱いに意識を向ける。
雨に打たれて帰ってきたみのりは、お風呂に入ってきた後決まって私にくっついてくる。そうして一度くっついてきたら暫く無言で離してくれない。
それが雨に打ちのめされた心を癒すための行為なのか、お風呂でぽかぽかになった身体で私を温めてあげようという気遣いなのか、「遥ちゃんはこれだけ酷い目にあったわたしを無下にはしないだろう」という悪い考えからの行動なのか、それとも特に意味はないのか……それは私には分からないし、あまり明確にしたいとも思わなかった。
みのりの拠り所の一つに、私がいる。
それ以上のことはいらないし、パートナーとしてこれほど幸せなこともないと思う。
『みのり、こっちおいで』
『そ、そんな! わたしには畏れ多いれしゅ!!』
「今火使ってるから、そこだけ気をつけてね」
「んー……」
出会った頃はおろか付き合ってからも事あるごとに緊張してたみのりが、今はこうして脱力した姿を見せてくれる。
今世界で私だけが見れる光景だって考えるとなんだか頬が緩んでしまって、そして勿体無くてなかなか引き剥がせなくなってしまう。
贅沢な悩みだな、なんて思いながら、私は大好きな彼女の体温を背中で感じていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……よし。みのり、そろそろご飯の準備しよっか」
「はーい! それじゃあお箸とか出してくるね!」
充電時間が終わったら、あとはいつもの元気なみのりが顔を出す。
雨が止んだら元気になるなんて、本当に太陽みたい。その明るさと暖かさに何度も救われてきた私はそれがどこか嬉しく感じて、そんなお日様の元気の源に確かに私がいることを、とても誇らしく感じるのだ。
「みのり。今度の週末、どこか遊びに行かない?」
「遥ちゃんとお出かけ!? 行きたい行きたい! ……あっ、でも今行ったら遥ちゃんも雨に打たれちゃうかも……」
「あー……うん。まあ、そうなったらその時考えよっか」
それに雨降りでも、みのりがいれば大丈夫だよ。
あなたと過ごす雨は、なんだか嫌いじゃないの。
2022/08/12 「第4回akmh覆面小説企画」参加作品
akmh覆面企画に投稿させていただいた作品です。
文庫ページメーカの上下に謎の水玉ラインを入れたりと必死に擬態したのですが、
文章の癖とか云々以前にタイトルの「霖」という文字1つで特定されました。そんなことあるんだ。
この時期になるともうみのはる推しとしていろいろ極まってくるので、
2人が籍を入れてることを1文でしれっと書いたりしています。
自然すぎてあまり触れてくれる人がほとんどいなかったような……。