桜泥棒
わたしとスバルの身長の差は11cm。背伸びをしてもどうにも届かない、そのくらいの高さ。
わたしとスバルの歳の差は2つ。スバルが毎年逃げるものだから、どれだけがんばっても埋まってくれない、そのくらいの時間。
わたしと、前を歩くスバルの距離は大体50cmくらい。手を伸ばせば届きそうで、その実舞い散る桜に阻まれちゃいそうな、そのくらいの距離。
じゃあ、わたしとスバルの、心の距離は。
——春は桜。わたしたちも日本人であるからにはその魅力に逆らえない。そのくせ桜なんていつの間にか散って葉桜になっちゃってるものだから、観るなら急いで観に行かなきゃいけない。それなら一刻も早くお花見の計画を立てなきゃ! やろう! すぐやろう! 今やろう! となったのが先週の話。
そこから流石に今からは無理だねってなって、改めて皆で予定を立てたのが今日だった。結果、桜はちょうど満開。ポールダンスジャパンカップも凱旋公演も落ち着いて少し余裕ができた頃だったし、なんだかんだ皆でお花見するには一番ちょうどいいタイミングだったかもしれない。
余裕をもって来たはずだけど、公園は既にたくさんの人で賑わってる。駐車場もなかなか空きが見つからないし、たくさんの荷物を持って皆でふらふらとさまようのもあまりスマートじゃない。……というわけで先生とヒナノ、ミオには車を停められる場所を探しつつ待機してもらって、先にわたしとスバルで場所取りをするっていう作戦になった。
そんなわけで、人混みの中を2人で進む。ブルーシートはスバルが持ってくれてるから、わたしの仕事はスバルについて行きながら良さそうな場所を探すこと。……なんだけど……。
(ひ、人が多い……!)
お花見シーズン真っ盛りなのはあると思うけど、想像してた以上に人が多い。油断してると人の波に飲まれてはぐれちゃいそうで、正直スバルを追いかけるので精一杯。空いてる場所を探す余裕なんてない。
でも迷惑ばっかりかけるわけにはいけない。わたしたちがなんとか場所を見つけないとヒナノたちも動くに動けないし、頑張って探さないと……!!
——本当に、たくさんの人がいる。たくさんの声が入ってくる。ひらひらと降る桜の雨にはしゃぐ子どもの声。桜の木の向こうで叫ぶ酔った学生の声。すごい人だねと2人笑うカップルの声。油断すると溺れちゃいそうで、必死に波をかき分けながら歩く。普段は星空ばかり見てるから、この桜と人の海はどうにも苦手。あーあ、ここにポールがあればもうちょっと楽に辺りを見渡せるのになぁ。まあそれはそれでそこから動けないからあんまり意味がないんだけど。ぴょんぴょんジャンプするわけにもいかないし、背伸びしてつま先歩きしながらどうにか視界を……ってちょっと待って。
スバルはどこ?
……やばい。はぐれた? 心臓の鼓動が一気に早くなって、嫌な汗がじわりと背筋を伝う。まずい、どうしよう。いつからいなくなってたんだろう。もうだいぶ先まで行っちゃったかな。探さなきゃ。探さなきゃなんだけど、いくらスバルの背が高いっていってもそれはあくまで普通の女の子に比べてって話だし、この人混みの中じゃわたしに見つけられるはずがない。どうしよう、どうしよう!
「そうだ! とりあえず連絡……!」
まずは電話して今どんな状況か伝えないと! そう思って鞄からスマホを取り出すけど、慌ててたのと、最悪なタイミングで後ろからぶつかられたのとで勢いよくスマホを落としてしまう。やばい。あの角度は確実に画面がバキバキになってる……せっかくこの前買い直したのに…………!
とにかくどうにか拾い上げようとするけど、わたしだけのためには止まってくれない人の波に、後ろから押されてなかなか取れない。ちょっと、早くしないと、こうしてる間にもスバルはどんどん先に……っていうか、スバルがどこにいるのかもヒナノたちがどこに車を停めたのかもわからないのに、ここでスマホを回収できなかったら誰にも連絡できなくなって本当にまずい!! ちょっとねぇ、あんまり、押さないでっ……!
「リリア、どうしたの?」
不意に、必死に取ろうとしてたスマホが拾い上げられる。見慣れた白くて綺麗な手。顔を上げると、拾い上げたわたしのスマホをまじまじと見つめるスバルがいた。
「あ、また画面割ってる。買い替えたばっかりなんでしょ?」
「……なんで」
「ん?」
「なんで見つけられたの?」
スマホを取るためにしゃがんでいたから、ただでさえ平均身長くらいしかないわたしの姿は人混みでほとんど見えてなかったはず。何よりわたしより前を歩いてたスバルがここに戻ってくるには人の流れを逆走しなきゃいけない。ただでさえそんな動きにくい中で、どうしてこんな、あっさりわたしを見つけられたんだろう。
わたしの頭に浮かんだそんな疑問に、スバルはきょとんとした顔で答えた。
「どうしてって……リリアは目立つからすぐ見つけられるでしょ?」
「え、えぇ……? でもだって……」
「そんなことより、ほら。早く場所取り終わらせよ? 皆もそろそろ車停めれた頃だろうし」
そうやってスマホをわたしのズボンのポケットに滑り込ませて、そのままわたしの手を握るスバルの右手。こうすればはぐれないでしょ? って笑うスバルの手は温かいけど少しだけ汗ばんでいて、ちょっと暑いからかなとか、それとも慌ててわたしを探しに来てくれたのかなとか、そんなことを考える。
浮かんできた感情は、3つだった。
1つ目は、やっぱりスバルのことが好きだなっていう、温かくてちょっとくすぐったい気持ちで。それが今までのそれとはちょっと違う特別なものだって、最近、やっと気づいてきた。
2つ目は、やっはりスバルは頼りになるな、かっこいいなっていう、胸の奥がドキドキするような気持ちで。最近はふとした時に、こんな気持ちになることが増えてきた。
3つ目は。
3つ目は、なんでか泣きたくなっちゃうような痛みで。
これは一体、何だったんだろう。
——わたしとスバルの身長の差は11cm。背伸びをしてもどうにも届かない、そのくらいの高さ。
見上げるわたしは飛び跳ねたってスバルを見つけられないのに、スバルは簡単にわたしを見つけられて。そんな大きな差を、背伸びをしても、牛乳を飲んでも、ポールダンスをしてもわたしは埋められない。
——わたしとスバルの歳の差は2つ。スバルが毎年逃げるものだから、どれだけがんばっても埋まってくれない、そのくらいの時間。
幼いわたしは不安も疑問も隠せなくて、精一杯がんばらないとスバルを安心させられないのに、スバルは心配をちっとも見せずにわたしの手を握って、わたしを安心させてくれる。どれだけ大人ぶったって、たった2年ぽっちのはずのその差を、わたしはずっと埋められない。
——わたしと、前を歩くスバルの距離は大体20cmくらい。左手に触れる体温が確かに手を繋いでるって教えてくれるのに、ふとした瞬間にこの右手が離れるのが怖くなっちゃう、そのくらいの距離。
なんでこんなに怖いんだろう。手を握ってくれたらこんなに安心できるのに。スバルが手を伸ばしてくれれば、絶対にその手を掴めるって今でも確信できるのに。でもこの手が離れたら。スバルがこの手を離したら。なんでだろう、もうわたしは、その手を掴み直せない気がするんだ。
——わたしとスバルの、心の距離は。
ポールダンスに出会うまで、わたしはごく普通の高校生だった。ポールダンスはもちろん、何かスポーツをやってきたわけでもなくて。何も積み重ねてきたものはないけど、アズミスタジオのことも、スバルとのダブルスのことも、ただ手放しちゃダメだと思ったことを必死に掴んで離さないって、それだけで今ここにいるのがわたしだった。
でもスバルは小さい頃から体操をやってて、たくさんの大会に出て、挫折して、それでももう一度立ち上がって、それで今、わたしと手を繋いでくれてる。
きっとスバルはわたしよりたくさんの経験を積んでて、わたしよりたくさんのことを感じてきてて。それはわたしが飛んでも跳ねても逆立ちしても、絶対に埋められない距離だった。
……嘘じゃないよ。2人一緒なら大丈夫って、本気で思ってるんだ。スバルがわたしに助けを求めてきたら絶対に助けるって、わたしがスバルに手を伸ばしたら絶対にその手を掴んでくれるって、今だって本気で信じてるの。
……でも。
例えばいつか何度目かの春がやってきて、スバルが大学を卒業したら、スバルはどこかに行っちゃうのかな。わたしよりたくさんの景色を見て、わたしの知らない経験を積んで、わたしの知らない遠い世界に、スバルは行っちゃうのかな。
その時はきっと、わたしはスバルを引き止められない。どうしようもなく空いちゃったスバルとの人生の距離を、ふつうでおこさまで弱虫なわたしは、絶対に、絶対に埋められない。
そんなの、当たり前なのにね。
その当たり前が怖くて痛くて泣いちゃいそうになるくらい、わたし、スバルが大切になっちゃったみたいだ。
「リリア、あそことかどう?」
「……うん、いいんじゃない? ちょうどいいと思う!」
ちょうど木の近くで5人が座れそうな場所を見つけて、スバルに引かれて人混みから離れる。
ブルーシートを敷くために解かれそうになった手を、咄嗟にぎゅっと、強く握った。
「……リリア?」
「……ごめん。もうちょっとだけ、このままでいい?」
「……もう、しょうがないなぁ」
ヒナノたちが来るまでだよって、困ったようにスバルが笑う。理由とかは、特に聞かれなかった。
……あはは。わたし、やっぱりまだまだ子どもみたいだ。
桜の花びらが2人の間を舞い降りていく。不意に吹いた風がわたしの髪をさらって、左にいるはずのスバルを隠した。
それでも左手の感覚だけが、確かに、まだ繋がれたままの右手を証明してくれる。
時間が来れば、大人になるから。背伸びしてでも、受け入れてみせるから。
……だから今はもう少しだけ、この距離のことも、忘れさせて。
2024/04/07 投稿作品
久々に参加したオフラインのオンリーイベントで、イベントの熱にあてられて執筆した作品です。
当日頒布された寄稿作品がかなりいろいろなものをそぎ落とした作品でしたので、
そこで拾えなかった要素を拾い上げたのがこの作品になります。
リリスバには夏の青空みたいにからっとしてきらめいた日々を過ごしてほしいけれど。
それでも、大人になれば「たった2つ」と思える年の差が、
高く果てしない壁のように見えることも、きっとあるでしょうから。