REAPERS 01

 紅い月が照らす、丑三つ時の校舎。薄暗い廊下で、私は目の前の少女を必死に手当てしていた。
 この子が誰なのかは分からない。顔もぼんやりとしていてよく見えないけど、傷だらけでぼろぼろの彼女を見殺しにするわけにはいかない。それなのにどれだけ止血を試みても、傷口から溢れる朱い血が止まってくれない。

 左に目をやれば、廊下を埋め尽くす大きな影が迫ってくる。スライムのような、あるいは肉塊のようなそれはずるずるとその大きな身を引き摺りながらこちらに近づいてきていた。
 早くなんとかしなきゃ。心臓が早鳴り呼吸が浅くなるほど両手は覚束なくなっていって、何度もガーゼや包帯を落としてしまう。
 駄目だ、間に合わない、それならせめて一緒に逃げないと。どうにか彼女を連れて逃げようとするけど、その身体は鉛のように重くてぴくりとも動いてくれない。担ぐことも、引き摺ることすらもできなくて、ただただ私の制服だけが、いたずらに緋く染まっていく。

 そうこうしているうちに怪物は、目と鼻の先まで迫っていた。
 ……無理だ。私にはもう、この子を助けられない。よろよろと立ち上がっては、最後の力を振り絞って怪物から逃げ出す。

「——吟子ちゃんは」

 背中越しに、鈴を転がしたような声が聞こえた。

「吟子ちゃんはまた、■■のことを見捨てるんだね」

 それはきっと、私が殺した彼女の声だった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「——ちゃん、吟子ちゃん!!」

 ……そんな私を呼ぶ声で目が覚める。ぼやけた視界が鮮明になるにつれ、不安そうな姫芽の顔が見えてきた。……そっか。私、姫芽の部屋に泊まりにきてたんだっけ。

「吟子ちゃん、うなされてたけど大丈夫……?」
「うん、大丈夫だよ。ごめん、心配かけて」
「また、あの夢?」
「……うん。また、いつもの夢」

 枕元のスマホを見れば時刻は5時過ぎ。まだまだ起きるには早すぎる時間だ。自分が寝付けないだけならまだしも、姫芽まで起こしちゃったか……。罪悪感で、ほんの少し息が詰まる。

「……ごめんね、姫芽」
「いやいや! アタシは全然平気だよ〜! それよりも吟子ちゃんは本当に大丈夫? ちゃんと寝れそう?」
「うん、本当に大丈夫。今まで、1日に2回同じ夢を見たことはないから」

 そう言って再び目を閉じる。
 暫くして、誰かに抱きしめられたような、そんな体温を感じた。……姫芽、だろうな。私がちゃんと寝れるように、こうやって抱きしめてくれてるんだ。
 暖かくて、ちょっと苦しい。姫芽の力が強いわけじゃない。姫芽に迷惑をかけてしまっているという事実が苦しかった。姫芽は頼ってほしいって言うけれど、本当はあまり迷惑なんてかけたくないんだ。だって姫芽は、私が「親友」って呼べる、たった一人の大切な人なんだから。

 ——たった、一人の?

 ずきりと頭が痛む。僅かに息苦しさが増す。何か、何か心の中に穴が空いているようなそんな感覚。だけど、その正体は全く見当もつかなかった。
 最近の私、どうしちゃったんだろう。
 そんな不安も少しずつ暖かさと眠気に押し除けられて——やがて私は、再び意識を手放した。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「皆さんも感じているかとは思いますが、最近体調不良者が増えています。冬は寒さに加えて乾燥で風邪や感染症のリスクが高まる季節です。くれぐれも、体調管理と感染予防には気をつけてくださいね」

 担任のそんな忠告を最後に終業の鐘が鳴る。長い授業から解放され帰り支度を始めるクラスメイトたち。既に日は落ちて、窓の外の景色は薄闇に包まれ始めていた。

「吟子ちゃん、今日はどうする〜?」
「私日直だから鍵持ってるし、教室でやろう。先に日誌だけ提出してきていい?」
「もち〜。ていうかアタシも付いていこっかなぁ、暇だし」
「そう? なら一緒に行こっか」

 そうして学級日誌を片手に、2人教室を出る。騒がしい廊下を歩きながら話すのは、他愛のない世間話。

「体調不良か……私も気をつけないと」
「吟子ちゃんは夢のせいで寝不足気味だもんねぇ、せめて栄養とって温かくするんだよ? ……まあでも、体調不良が多いのは病気のせいだけじゃないかもしれないけどね」
「えっ、何それ。どういうこと?」
「ふっふっふ……吟子ちゃんも気になる? 『蒼い月の校舎』のウワサ……」
「……本当に何?」

 姫芽の笑みはどうにも胡散臭いし放っておきたいけど、私もなんだかんだ華の女子高生、ウワサと聞けばほんのちょっと気になってしまう気持ちもある。
 怪訝な顔をしながらも止めてこない私の態度を肯定と捉えたのか、中央階段を降りながら姫芽は滔々と『蒼い月の校舎』のウワサを語り出す。

「一人で夜の校舎に行くとね、たまに不気味なくらい蒼い月が浮かぶ世界に迷い込んじゃうんだって」
「……待って、もしかしてこれ怖い話?」
「そこに迷い込んじゃったら一刻も早く校舎から逃げ出さなきゃいけなくて……さもなくば……」
「……さ、さもなくば……?」
「……死神が現れて魂を奪われちゃうんだって!!」
「ひゃぁっ!! ……って、し、死神? 幽霊とかそういうのじゃなくて?」
「いやほんと、そこなんだよねぇ。普通こういう話で死神なんて出てこないというか〜……」

 怖い話で脅かしにきてるかと思ったら、身構えていた割に怖い話でもなくてちょっと拍子抜け。まあ、そういう突拍子のなさがいかにもウワサらしいというかなんというか。

「私の夢と似てるって一瞬思ったけど、こっちは紅い月だしなぁ。それにあの怪物は絶対に死神なんかじゃない」
「実際体調崩してる子の中には『死神を見た』って子も何人かいるらしいけどねぇ。正直アタシは、吟子ちゃんみたいにそういう感じの夢を見た子の話に尾びれがついてるだけな感じがするかなぁ〜」
「それはあるかも。そもそも普通夜の校舎になんて——」
「あっ、吟子ちゃんだ! やっほー!」

 私たちの会話を遮るように、ちょうど目の前の職員室から出てきた見知った先輩たちが、とてとてとこちらに駆け寄ってくる。
 日野下花帆先輩と、村野さやか先輩。どちらも私たちの1つ上、2年生の先輩方だ。

「こんにちは、吟子さん、姫芽さん。お二人も日直ですか?」
「そんな感じです〜。まあアタシはただの付き添いなんですけどねぇ」
「吟子ちゃん、今日は文芸部来る?」
「すみません、今日は姫芽と勉強会の予定で……明日は顔を出せるはずです」
「そっかぁ……うん分かった、待ってるね!」

 花帆先輩は私の所属する文芸部の部長さん。普段は元気いっぱいでちょっと抜けてるんだけど、本を読んでる時や作品を執筆してる時の落ち着いた雰囲気はとても綺麗で絵になって……なんて、本人に言ったら調子に乗るから言わないけど……。

「それにしても勉強会なんて偉いねぇ……。まだテストも結構先だよね?」
「夏くらいから、お互いが授業の内容に苦戦し始めたら声をかけるようにしてるんです〜。苦手は早めに潰した方がいいですから〜」
「ふむ……それはいいですね。わたしたちも今度やってみますか?」
「さやかちゃん!? いやあたしはちょっと……いやでもそういう日もあった方がいいのかなぁ!?」
「まあ、あるに越したことはないのでは? 生徒会会計が赤点まみれとなっては、生徒たちに示しがつきませんし」
「そ、それは言わない約束でしょ生徒会長〜!!」

 さやか先輩は先月選挙で選ばれた新生徒会長。学業とフィギュアスケートを両立させながら生徒会業務もバリバリにこなす鉄人みたいな人だ。「さやかちゃんが完璧すぎて同じ17歳として立つ瀬が無い」とは花帆先輩の弁。実際さやか先輩みたいな生き方は私たちには絶対真似できないと思う。
 そんな多忙な中でもさやか先輩は、何かと私たちのことを気にかけてくれる。多分私が花帆先輩の後輩なのが大きいと思うけど……何にせよありがたい限りだ。

「そういえば2人ともなんか楽しそうだったけど、何の話してたの?」
「おっ、せんぱい方も気になります〜? 蒼い月の校舎と死神のウワサ〜」
「「えっ!?!?」」
「……せんぱい?」
「あっ、えっと、もしかしてそれって怖い系の話だったりするかな!?」

 急に挙動不審になる先輩方。そういえば花帆先輩、怖い話は大の苦手だったな……。反応を見るにもしかしたらさやか先輩も苦手なタイプなのかもしれない。

「まあ、私でも平気だったんでそこまで怖くはないと思いますけど……」
「そ、そうなの? まぁ、いやでもそれでもあたしはちょっと遠慮しとこうかな〜!?」
「…………夜の校舎に一人で行くと……」
「わー!! わー!!」
「姫芽、先輩にいじわるしないの」
「いやぁごめんなさい、ついつい魔が差しちゃって〜」

 耳を塞いで悲鳴を上げる花帆先輩を見ながら、「花帆ちゃんってたまに小動物みたいだよねぇ」という別の小さな先輩の言葉を思い出す。何というか、ウサギやハムスターを思い出すというか……。

「……と、呼び止めてすみません。お二人とも日誌を出しに来たんですよね?」
「いえ、急ぎではないですし、むしろこの場で部活の連絡もできて良かったです。……さやか先輩は、これからスケートですか?」
「はい。今日の生徒会業務は瑠璃乃さんが中心に回してくれるので、私は練習に集中です」
「るりちゃんせんぱい、充電は大丈夫でしょうか〜……?」
「本人も日中調整してきたらしいので、おそらく大丈夫かと。今日は梢先輩もヘルプに入ってくださるようですし」
「えっ!? 梢センパイが!?」
「……花帆さんは駄目ですよ。今日は部長業務優先でしょう? ……って、また話し込んでしまいましたね。そろそろ解散しましょうか」
「そうですね。それでは——」

『——はい、ありがとうございました』

 不意に聞こえた、澄んだ声。思わず声の方に視線を向ければ、私たちと同じ制服を着た少女が、職員室から出てくるところだった。
 高校生にしては小さな身体。編み込まれた綺麗な栗毛。首筋から見え隠れする黒いリボン。何より目を惹く、牡丹色の綺麗な瞳。人形のような可愛さと儚さを感じさせるような、そんな少女。スカーフの色を見る限り私たちと同じ1年生みたいだけど……こんな子いただろうか?
 少女はそのままそそくさと職員昇降口の方へ消えていく。呆然としている私に、再びさやか先輩が声をかける。

「あれは……私のいとこですね」
「さやか先輩の?」
「はい。蓮ノ空に転入してくるという話だったので、その手続きに来ていたのかもしれません。吟子さんたちと同じ1年生なので、関わる機会があったら仲良くしてあげてくださいね」

 何かを慈しむような目で、さやか先輩は、そう微笑んでみせた。
 ……転入生、か。何でこんな真冬のタイミングで、蓮ノ空に来たんだろう?

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「いやぁ、今回も捗りましたなぁ〜」
「うん。これなら当分授業も大丈夫そう。ありがとう、姫芽」
「いえいえ〜。アタシも日本史教えてもらってめっちゃ助かったし、こういうのはお互い様だよ〜」

 勉強会を終え下駄箱を出る頃には、辺りは完全に真っ暗になっていた。街灯と月明かりだけが照らす道をまた、いつも通り2人で歩いていく。寮までの道は暗さの割に活気があった。最終下校時刻も近いので、部活帰りの子なども多いのだろう。

「お風呂入ったらもう一度復習しないと」
「おっ、いいねぇ。アタシもめぐちゃんせんぱいの配信見ながら勉強しよっと〜」
「慈先輩、今日配信やるんだ。……あの人の配信見ながら勉強できるの……?」
「今日はソロで雑談配信らしいし、勉強や作業のお供にはぴったりだよ〜」

 藤島慈先輩……蓮ノ空一番のインフルエンサーで、姫芽が蓮ノ空に来るきっかけになった、そんな3年生の先輩。配信活動はコンテンツの幅も広くてとても面白いんだけど、蓮ノ空の生徒にとっては破天荒とも言える学内活動の方が印象深いだろう。放送室ジャックに屋上からのチョコばら撒き、数々のゲリラライブ、前生徒会長による1週間補修室軟禁……などなど。
 それでも尚惹きつけられてしまう魅力があるのだからとんでもない。花帆先輩やさやか先輩とは違うベクトルですごい人だ。姫芽が神と崇めるのも頷ける。

「なるほど、雑談配信……。それなら私も勉強ついでに見ようかな」
「いいねいいね〜めぐちゃん成分摂取していこ〜」
「いつも通り20時半からだよね? 忘れないようにアラーム……ってあれ……」
「お? どしたの吟子ちゃん?」
「……スマホ教室に置いてきたかも……」
「あれま」

 勉強に集中しすぎたか、疲れて注意力が落ちてたのか。これじゃあ慈先輩の配信どころか連絡の一つもままならない。
 ノートとかならともかく、流石にスマホは取りに行くしかないか……。幸い完全下校と施錠まではもう少し余裕があるし、駆け足で引き返せば間に合うはずだ。

「アタシも一緒に行こうか?」
「ありがと、でも大丈夫。スマホ取りに戻るだけだし、姫芽は先に帰っといて」
「おけおけ〜、それじゃあまた明日ね〜」

 姫芽と別れて、寮とは逆方向へ駆ける。比較的早い段階で気付けたのもあって、校舎にはすぐに戻って来れた。
 靴を履き替えて昇降口を飛び出した時、不意に、職員室の前に佇む少女が目に留まる。あの子、夕方にもいたさやか先輩のいとこだ。なんでこんな時間に校舎に……?
 ぼんやりと眺めていたけど、不意に目が合ったことで我に帰る。そうだ、こんなことしてる場合じゃない。早くスマホ取りに行かないと……!

 再び小走りで教室へ。目当てのスマホは机の引き出しの中にあった。時計を見れば19時21分。これなら施錠までには余裕で間に合う。
 ……あれ……圏外? そんなはずはない。いくら山奥の蓮ノ空とはいえ、電波が途切れるようなことはありえない。そんな小さな違和感が呼水になって、さらに大きな違和感が見えてくる。
 校舎が、静か過ぎるのだ。確かに完全下校直前で残っている生徒の数は少ないけれど、むしろ普段この時間帯は慌てて下校する部活動生と見回りに出る先生たちで騒がしいはず。それなのに、何で足音の一つも聞こえないんだろう。
 嫌な汗が頬をつたう。逃げるように教室を出た時、廊下の窓から、月夜の景色が目に入った。

 ——不気味なほど大きな、蒼い月が目に入った。

 ……なんで。だって、さっき見た時は普通だったのに。
 呼吸が浅くなる。吐き気が込み上げてくる。思い出したのは当然、姫芽から聞いたあの噂。蒼い月の校舎に迷い込んだなら、一刻も早く抜け出さないと——。

 ぐしゃり、と。廊下の向こうで、何かが落ちたような、潰れたような音がする。……私はきっと、それを知っている。
 恐る恐る振り向けば……夢に見たものと同じ怪物が、そこにいた。影を煮詰めたように黒く蠢く、スライムのような、肉塊のようなバケモノがそこにいた。
 ……いや違う。ただ蠢いているわけじゃない。夢じゃない、現実だからこそ気付いてしまうこと。……ソレは、何かに成ろうとしていた。身体のあちこちが何かを象ろうとしては崩れていく。馬のような足、熊のような手、うさぎのような耳、猫のような尻尾、——ヒトの、腕。

「い、嫌……っ!!」

 考えるよりも先に身体が動いていた。もつれそうになる両足を無理やり動かして階段のある方まで駆け出す。怪物は……ずるずるとその身を引き摺って追ってくる。私の足の方が速いけど、それでも思っていたよりずっと速い。少しずつ距離は離せるだろうけど、転んだりなんかしたら……そんな最悪な想像が、ただでさえ全力疾走で早鳴る心臓をさらに責め立てる。
 階段を2段飛ばしで駆け降りて、3つ下の階へ。昇降口へ向けて数歩踏み出した時に、違和感を感じた。……1年生の教室がある……? おかしい。昇降口のある1階は特別教室しかないはず。そもそも1年生の教室があるのは、私がさっきまでいた4階だ。

「……まさか……」

 嘘だ。嘘であって。
 咄嗟に引き返して再び階段を下る。階下の景色を確かめてはさらに下る。何段降りても、何階降りても変わらない景色。当然のように立ち並ぶ、4階の景色、1年生の教室。
 やっぱり、ループしてる。なんで、それじゃあ、私は一生ここから出られないってこと……? 嫌だ、そんなの嫌だ……!!
 何か変わってと思いながら廊下を駆け、階段を下る。当たり前のように変わらない景色に対して、次第に悲鳴を上げ始める私の身体。喉からはヒューヒューと嫌な音がして、足先がずきずきと限界を訴える。最初に広げていた怪物との距離は、少しずつ縮まり始めていた。

「やだ……やだよ、姫芽……私、こんなの……!!」

 何百段目かも分からない階段に飛び込んだ時、私の身体は限界を迎えた。酸欠になった脳が思考を止めて、指揮系統を失った両足が急ブレーキをかける。
 踊り場から投げ出された私は、そのまま下の階まで転がり落ちた。階段に叩きつけられる度に全身に走る激痛。頭を打たなかったのはラッキーと取るべきか、楽になれなかったと取るべきか。
 最後の気力を振り絞って立ち上がろうとするけれど、腕や足を襲う激痛と、酸素の足りない頭がそれを許してくれない。……あの引き摺るような音が聞こえてくる。あれだけ速かったんだ。あと数秒もすれば追いつかれるだろう。

 そっか、私、ここで死ぬんだ。
 あれが、きっと死神なんだ。冗談みたいな都市伝説に巻き込まれて、私の人生、ここまでなんだ。

「……やだ……」

 嫌だ、嫌だよ、そんなの。
 まだやりたいことはいっぱいあるんだ。姫芽の大会も応援しにいくって約束した。花帆先輩とは蓮華祭で部誌を出したいって話してた。さやか先輩に誘われた生徒会へのお返事もまだ返してない。それに、それに——。

『吟子ちゃんはまた、■■のことを——』

 まだ、あの子を、助けてない。

 怪物の影が見えた。階段を下りながら、いくつもの仮初の腕を私に伸ばしてくる。嫌だ、まだ死ねない。私は、まだ……。

「まだ、死にたく、ない…………!」


「——大丈夫。吟子ちゃんは、■■が護るから」


 すぐそばの窓を叩き割って人影が現れた。それは今にも私に取りつこうとしていた怪物に体当たりして、廊下の向こうへと蹴り飛ばす。
 放課後に聞いた澄んだ声。だけどその姿は、その時見たものとは随分と違っていた。
 全身を覆う黒いローブ、その下に見え隠れする青と白を基調にした装束。そして……右手に持った、体躯を越える大きな鎌。

「……死神……」

 それは、私の知る、死神の姿。御伽話の中、人の魂を狩る死神。……お話の中のそれは、こんなに綺麗で可愛らしい女の子ではなかったけれど。
 フードから見え隠れする牡丹色が私を見つめる。月明かりだけじゃ暗くてよくは分からなかったけれど、少なくともその声色は、先程あの怪物を蹴り飛ばした子とは思えない程不安そうなものだった。

「……大丈夫? あいつに襲われた?」
「大丈夫……では、ないかも……。あれに追いかけられて、逃げてる途中で階段から落ちて…………」
「そっか、あいつにやられたわけじゃないんだね。それなら大丈夫、ある程度はあたしが治してあげられるかも」
「死神って、そんなこともできるの……?」
「完璧には治せないと思うけど、ちょっとなら。……でも、その前にあいつを倒さなきゃ」

 彼女が向き直った先には、ぼこぼこと音を立て形を変えながら、再び私たちの方へ迫ってくる怪物の姿。無作為に何かを象っていたさっきまでとは違う。それは、明確にヒトの形へ成ろうとしているようにも見えた。

「……魂の形を捉える……身体を斬るんじゃない……その中にある核……魂の根っこを刈り取るように……」

 ぶつぶつと何かを呟きながら、死神は右手に鎌を構える。怪物は目と鼻の先まで来ているけれど、不思議とさっきまでの恐怖は無かった。きっと、私は生きて帰れると思った。
 怪物が再び仮初の腕を伸ばした時、彼女は一歩踏み込み、鎌を振り上げた。

「——“一閃”!!」

 ……その刃が一瞬雷を放ったように見えたのは、気のせいだっただろうか。
 腐敗臭と焦げた臭いが混ざったような、微かな臭い。怪物は縦に両断されていた。二つに分かれた肉塊の中心、ぼんやりと見えた小さな青い炎が、火の粉となって死神の鎌に吸い取られる。それを最後のきっかけに、肉塊は溶けるように崩れ、そして消えて無くなった。

「……任務、完了」

 そう呟いた少女は、再びとてとてとこちらへ駆け寄ってきた。ちょっとだけ誇らしげな顔をしているようにも見えたのは、流石に気のせいじゃないと思う。

「強いんだね、あなた」
「ありがとう、でも先輩方の方がもっと強いんだよ。あたしはまだまだ修行中。……さて、次はあなたの番だね」

 屈み込んだ彼女の右手には、さっきも見た微かな青い炎。それが私の胸元に触れると、今度はその火の粉が私の中に吸い込まれていく。見た目の割に熱さは感じないけど、その明かりに集中していると、あれだけ苦しかった全身の痛みが少しずつ引いていく。

「……あれ……眠……い……?」
「この世界が消えかけてる証拠だよ。寝ちゃっても大丈夫。起きた時にはもとの校舎に戻れるからね」
「そっか……ありがとう…………でも、あなたは……」
「あたしは別に消えたりなんかしないよ。それに、またすぐに会えると思う」
「でも…………せめて、なまえ…………」
「名前、か……」

「『村野すず』。……ごめんね。今は、この名前しか教えられないんだ」

 ……そんな、寂しそうな声を最後に聞いて。
 私は、不意に意識を手放した。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「——ちゃん、吟子ちゃん!!」

 ……そんな私を呼ぶ声で目が覚める。ぼやけた視界が鮮明になるにつれ、今にも泣き出しそうな姫芽の顔が見えてきた。……そっか。私、戻ってこれたんだ。生きて、帰って来れたんだ。

「姫芽……」
「……!! 吟子ちゃん!! よかった……よかったぁ…………!!」

 意識がはっきりしてくると同時に、背中に感じるリノリウムの冷たさがひりひりと強まってくる。……ここは、校舎の1階。あの青い月の校舎で私が駆け降りてた階段のそば。
 周りには姫芽の他にさやか先輩もいた。目を覚ました私を見て胸を撫で下ろしている。……本当に、たくさんの人に心配をかけてしまったらしい。罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。

「門限になっても寮に帰ってきてないって聞いて、アタシ本当に心配で……! 皆で寮までの道も学校の周りも探したけどどこにもいなくて、これで校舎にもいなかったらどうしようって思ったら怖くってぇ……!!」
「そっか……心配かけてごめんね、姫芽。でも私は大丈……痛っ!?」
「駄目ですよ吟子さん、無理に立とうとしては!」

 姫芽を安心させたくて立ち上がろうとしたら、足首の辺りに激痛。こっちの世界で怪我してしまったのか、足の怪我だけは持って帰ってきてしまったのか。そういえばあの子も「完璧には治せない」って言ってたような気がする。
 ……もしかして夢だったのかも、なんて思っていたんだけど。この痛みからするに、やっぱりあれは現実だったらしい。

「階段から落ちた時に足を怪我したのでしょう。気も失っていたことを考えると頭も打っているかもしれません。今寮母さんに車を用意してもらってるので、一度病院に行って検査してもらった方が良いでしょう」
「なるほど……ありがとうございます、さやか先輩。……姫芽も、心配かけちゃってごめんね」
「ぐすっ……アタシこそごめんねぇ……あの時一緒に行ってれば……」
「それはまあ、言っても仕方ないことだから……。むしろ、探しにきてくれてありがとう」

 泣きじゃくる姫芽の涙を拭ってあげながら、姫芽を一人にするようなことにならなくて良かったと安堵する。
 姫芽が落ち着いた頃、ちょうど寮母さんの声が聞こえた。

「……姫芽、ちょっと肩貸してもらってもいい?」
「いいけど、大丈夫? アタシ全然おぶっていくよ?」
「痛いのは左足だけだから、多分大丈夫。ちょっと重いかもしれないけど、よろしくね」

 姫芽に支えられながら、二人三脚で歩を進める。静かな校舎がどうにも落ち着かなくて、私はもう少しだけ言葉を紡ぐことにした。

「そういえばさ、いたよ。死神」
「えっ……マジで?」
「うん。でも、私のこと助けてくれた」
「……そっかぁ。それは、今度アタシからもお礼言っとかなきゃねぇ」
「きっとまたすぐに会えるよ。転校してくるみたいだから」
「転校してくるの!? 死神が!?」

 ころころと表情の変わる姫芽を見ていると、また少しだけ心が落ち着く。私の与太話を笑わないのは、姫芽なりの優しさなのか、本当に信じてくれているのか。……いずれにしてもその暖かさが、今は純粋に心地良かった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「おつかれ吟子ちゃん〜、足の調子は大丈夫~?」
「姫芽が荷物持ってくれたから平気だったよ、ありがとう」
「いえいえ〜これくらいお安い御用だよぉ」

 そこから数日が明けた、月曜の朝。いつも通り活気に溢れた教室の中で、私は姫芽と隣同士、そんな会話を交わしていた。
 側の壁に立てかけてあるのは、人生で初めて使う松葉杖。流石に最初は歩くのも一苦労だったけれど、姫芽を始め周りの人たちが何かと手伝ってくれるのもあって、なんだかんだそこまで不自由なく日常生活を送れている。
 あの日足に激痛を感じた時はいろいろと最悪のパターンなんかも想像していたけれど、蓋を開けてみればただの軽い捻挫。土日を挟んだのもあって休みは事件翌日の1日だけで済んだし、この松葉杖も数日経って足の痛みがなければ外してしまっていいらしい。

「本当に、入院とかそういう話にならなくてよかった」
「そうだねぇ、アタシも一安心だよ〜」
「姫芽、泣いて心配してくれてたもんね」
「うっ……そ、そうやって茶化すのは良くないと思うなぁ!」
「ごめんごめん。本当に、心配してくれてありがとうね」

 すっかりいつもの調子を取り戻した私たちのやりとりが一通り落ち着いた頃、朝礼のチャイムが鳴って担任の先生が入ってくる。
 普段とあまり変わらない事務連絡がいくつか共有された後、変わらない調子で告げられる、いつもとは違う言葉。

「さて、突然ですが、今日からこのクラスに転入生の子が合流します」

 にわかにざわめく教室。当然だ。ただでさえ蓮ノ空は高校・女学院・全寮制と転入生がやって来にくい環境な上に、それでなくとも転入なんて起こりにくい1月半ばの転入生である。これで浮き足立つなという方が無理な話だろう。
 きっと私も、普通なら多少そわそわしていたと思うけど……周りの皆と違って今平静を保てているのは、「転入生」の正体に強い心当たりがあったからだった。
 先生に呼ばれて入って来たのは、予想通りの、小柄な少女。編み込まれた綺麗な栗毛。首筋から見え隠れする黒いリボン。何より目を惹く、牡丹色の綺麗な瞳。

「村野すずです。これから、よろしくお願いします」

 それはあの蒼い月の夜、私を助けてくれた少女だった。
 教室が歓迎の拍手に包まれる中、小さく手を振ってみせる。私の姿に気付いた彼女は、ほんのちょっとだけばつが悪そうに、だけど優しく微笑んだ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ——これが、私が死神に出会った日の話。
 私たちが巻き込まれる不思議な物語の……その、始まりの話。

- Afterword -
2025/08/05 投稿作品

『Mr.REAPER』という曲があります。
MUSECAという今はサ終してしまった音ゲーに収録されていた楽曲なのですが、
今でも私が一番好きな音ゲー楽曲です。
この作品の原型となる設定は、この曲を聴きながら練りました。
ちなみに作品内に楽曲の要素はほぼありません。

前々からこういう設定を練っての長編想定作品は書いてみたかったのですが、
自分が飽きっぽくほぼ間違いなく完結させられないため、
毎回投稿してよいものか悩んでは避けていました。
この作品も例に漏れず投稿する勇気が出ず、
一通り形になってから追加で3か月くらい寝かせています。

最終的には
「まあ出すだけ出して酒の場で設定語ればええべ最悪」と割り切りました。
というわけでこの作品は完結しない可能性が高いのですが、
考えている設定や展開が完全に死ぬのもそれはそれで勿体ないので、
他作品を書きつつたまに続きも書ければと思います。