ストロベリー・ナイト

「それじゃあ徒町は、急いでノートを取ってきますので!」
「ゆっくりでいいから、落ち着いて取っておいで。その間にこっちもなんとかしておくから……」

 とてとてと部屋を出ていく小鈴を見送って、そして一つ大きなため息。視線の先にはこの部屋の主……抱き枕を抱えて幸せそうに眠る姫芽の姿があった。
 そもそも「来たる北陸大会に向けて地区大会の反省会をしよう」「ついでに次の配信の企画も考えよう」なんて言って私たちを呼びつけたのは姫芽なのに、何なんだろうこの体たらくは。勉強も練習もゲームも全部手を抜かずに頑張っているのは分かってるけど、だからと言ってこんなに堂々と自分で立てた予定をすっぽかすのは如何なものか。
 ……いや、姫芽が本当に疲れ切っていて、少し横になるつもりが意図せず本気で寝落ちしてしまった……とかそういう話なら私たちも素直に延期にして休ませてあげるだろう。
 何より腹が立つのは、別に姫芽は100%本気で寝ちゃってるわけじゃないってことだ。その証拠に……。

「姫芽、早く起きて。反省会やるんでしょ」
「うにゃぁ〜……」

 ……こうやって、声を掛けるたびによく分からない鳴き声と共にベッドの上をころころと転がる謎の行動をし出すのだ。
 要するに寝たふり、狸寝入り。私をからかって困らせようって意図を隠す気がないことが何より私には不満だった。
 私としては「そんなに寝たいならお好きにどうぞ」って放置して帰ったっていいんだけど……小鈴が忘れ物を取りに行っている間になんとかするって言ってしまった手前、今回ばかりはそういうわけにもいかない。

「ほら姫芽起きて。姫芽が言い出したんでしょ、反省会」
「にゃぁ〜……」
「鳴いても駄目。ほら、早く身体起こし……ひゃっ!?」

 強制的に物理的に起こしてやろうと姫芽に手を伸ばした瞬間、がっちりと両腕を掴まれて布団に引き摺り込まれる。
 遅れて状況の理解が追いついた頃、目を細めて笑う姫芽の顔が正面に見えた。

「吟子ちゃんも一緒に寝よ〜?」
「……やだ。何度も一緒に寝てあげたでしょ」
「いいじゃん〜あと1回増えても一緒でしょ〜」
「今増える1回は一緒じゃない。大体今寝たら小鈴が悲しむでしょ」
「だったら小鈴ちゃんも一緒に寝たらいいじゃん〜」

 ああ言えばこう言うの繰り返し。これじゃあ完全に駄々っ子だ。いたずらっ子みたいに笑う姫芽にも、気を強く持たなきゃ簡単に絆されそうになる自分にも段々腹が立ってくる。
 別に姫芽は怠惰な人間じゃない。むしろ勝つための努力は当たり前だって断言するほどの努力家だ。だから本気で反省会をうやむやにしようとは思ってない。姫芽は、ただただ私をからかいたいだけなのだ。
 私が折れて抱き枕になってあげれば数分で満足して切り替えるのだろう。あるいは私が何か恥ずかしい思いなり反応なりをすれば、それで満足してすぱっと起き上がるのだろう。それがなんだか本当に気に食わない。いつもいつも姫芽の思い通りになんてなるものか、今日こそはお灸を据えてあげるんだから。

「吟子ちゃん、いい匂いする〜」
「なっ!? ちょっ、何しとらん!?」

 ああもう、言ってる側から反応しちゃった!!
 胸許に顔を埋めてきた姫芽を慌てて引き剥がしてからやってしまったことに気付く。当の本人は計画通りと言わんばかりのしたり顔。ああもう、我慢しようとして失敗した分いつもより余計にむかむかする!!

「姫芽! いい加減にして!!」
「え〜、だって吟子ちゃん本当にいい匂いなんだもん〜」
「人の胸許嗅いで何がいい匂いなのこの変態……って、そうじゃなくて!!」

 ああもう気づけば完全に姫芽のペースだ……こうなったら最終手段、もう力づくでなんとかするしかない。
 ころりと姫芽を仰向けにして覆い被さるような体勢に。そのまま両腕を引っ張って強制的に起こそうとするけど……重い。体型はほとんど同じ、身長に関してはむしろ私の方が高いんだから……これは、わざと抵抗してるな……。

「吟子ちゃん〜腕千切れちゃうよぉ〜」
「姫芽が抵抗するのがいけないんでしょ……!!」

 引っ張っては戻り、引っ張っては戻りの繰り返し。だんだん息も上がって腕の限界も近づいてくる。何で姫芽を叩き起こしたいだけなのに筋トレをしなきゃいけないんだ。お風呂にだってもう入っちゃったのに。

「……姫芽、いい加減本気で怒るよ……!」
「うぇ〜なんで〜」
「姫芽!!」
「うぅーん……あ、じゃあ〜」

「吟子ちゃんが目覚めのキスとかしてくれたら、目が覚めるかも〜?」

 ……いつもの私なら、顔を真っ赤にしてその辺の枕やクッションを顔面に叩きつけるか、真剣に説教タイムに突入するかのどっちかだっただろう。実際姫芽もそれを予想してて、どっちのリアクションになるのか半分博打のつもりで言い出したに違いない。
 ただ今日の私はとにかく腹が立っていた。いつもより露骨に揶揄ってくる姫芽にも、いつも以上に翻弄されちゃう私にも、姫芽に踊らされてばっかりのこれまでにも。とにかく、思い通りに動くのはもううんざりだったのだ。……何より今日は、今日こそは姫芽にお灸を据えると決めたのだから。

 だから、お望み通りくれてあげることにした。
 眠り姫に、目覚めのキスを。

 ——ふわりと香るいちごの香り、わずかに触れて感じる甘さ。さてはまたあのいちごミルク飲んでだな。糖分過多だから夜は程々にって言ったのに。
 なんて思考も程々にして、とりあえず反撃の結果を見てやろうと顔を上げた瞬間、どさどさと何かが落ちる音。反射的に音の方を向けば……足元にノートやペンをばら撒いた小鈴が、手で両目を覆いながらぷるぷると震えていた。

「こ、すず……っ!?」
「か、かちまちは、なにも、みてません」

 い、いつから!? いつから見られてた!? 少なくとも一番見られたらまずいところは見られた可能性が高い。ああもうよりによって、というかなんで私はこんなことを!! 冷静に客観的に状況を振り返るごとに、気まずさと恥ずかしさが私の頬を熱らせていく。

「いや違うの小鈴、これはっ……!!」
「か、徒町急用を思い出しましたので!! さ、さらばです!!!!」
「小鈴ーっ!!」

 さやか先輩に鍛えられた脚力も相まって一瞬で姿を消す小鈴。ま、まずい、とにかく事情を説明して誤解を解かないと……!! 跳ね起きて小鈴を追いかけるためにベッドを、飛び出そうとして……けれど、私の身体が小鈴に追いつくことはなかった。
 また、両腕を強く引っ張られる。突然のことに抵抗できなくて、私の意思に反して再び布団の中に引き摺り込まれる。

「……姫芽! ちょっといい加減に……」
「吟子ちゃん」

 枕に顔を埋めたまま、彼女は呟く。震えたように聞こえる声は枕のせいなのか、それとも実際に震えているのか。その答えは、隠しきれてない真っ赤な耳が教えてくれた。

「アタシまだ、目覚めてないかも、しれないから……」

 ……なん、それ。
 さっきまでとは違う理由で頬が熱くなる。ほんのちょっと頭がくらくらして、そして、私の知らない私が顔を出した。
 もっと、こんな姫芽を見てみたい。もっと、いじわるがしてみたい。……私には、今まで散々いじわるをされてきた私には、その権利があるはずなのだから。

「……何それ。私小鈴を追いかけなきゃいけないんだけど」
「う……いや、でも……」
「聞こえないよ、姫芽。枕のせいで声もくぐもってるし」
「うぅ……吟子ちゃんのいじわる〜……」
「いつもいじわるしてくる人に言われてもなぁ。……ねぇ、だから姫芽。もっと、はっきり言ってよ」

 枕から姫芽を引き剥がして、もう一度向き合う。紅の差した頬に、潤んで揺れる青い瞳、汗ばんで少し乱れた前髪。
 目の合った姫芽は少しだけ恨めしそうな顔をして。

「……キス、して。吟子ちゃん」

 消え入りそうな声で、そう呟いた。

「……言っとくけど私、初めてだから自信ないよ」
「……だいじょぶ。アタシも、はじめてだから」
「そっか。……じゃあ、いいのかな」

 ——ファーストキスはどんな味がするんだったっけ。昔読んだ本に載ってたのはレモン味だったか、カルピスの味だったか、はたまた涙の味だったか。いずれにしろ大嘘なのに変わりはない。

 ファーストキスは、いちごミルクの味がする。

 ここまでやっちゃったら、もう言い訳はできないな。だから先のことは一旦忘れることにして。
 今はこの口許の甘さに、もう少しだけ溺れることにした。

- Afterword -
2024/11/11 投稿作品

前回地獄みたいなひめぎんを書いてしまったので、
半分罪滅ぼしのつもりで書いたひめぎん(ぎんひめ)です。
ちなみに残り半分は私欲です。
手痛い反撃を食らってたじたじになる安養寺姫芽はそのうち癌にも効くようになる。

「ファーストキスは、いちごミルクの味がする。」という一節は、
ベタながらも結構気に入っているフレーズです。
甘酸っぱかったりしょっぱかったりも悪くないですが、
やはり初めてはうんと甘い方がいいと思いませんか?

綴理先輩とかだったらアイスの味とかするのかな。