Dear my sister

「いやぁ……毎度すみません、さやか先輩」
「いいんですよ、小鈴さん。わたしが好きでやっているんですから」

 脱衣所の洗面台、鏡越しにドライヤーの風が徒町の髪をふわりと躍らせる。さやか先輩に髪を乾かしてもらう時間。2人でお風呂に入った時のルーティン。
 普段なら一緒にいる綴理先輩は、今日は慈先輩から呼び出し中。代わりに偶然鉢合わせたもう一人の大先輩が、右隣で髪を梳かしながら微笑んでいた。

「一緒に入った時は、いつも乾かしてあげてるのかしら?」
「いえ、こうやって小鈴さんの髪を乾かしてあげるのは2人の時だけですね。小鈴さんは、一応1人でも髪のセットまでできますし……だから3人の時は綴理先輩優先です」
「……その……ごめんなさいね、綴理が、本当に……」
「梢大先輩は、花帆先輩や吟子ちゃんの髪を乾かしてあげたりするんですか?」
「一緒に入った時はそうね。私がしてあげたり、逆に花帆や吟子さんが意気込んでしてくれることもあるのよ」
「なるほど! では徒町も、日頃のお礼も兼ねてさやか先輩の髪乾かしチャレンジを……!」
「ふふっ。それなら次は、小鈴さんにお願いしてみましょうか。……はい、こんなところですかね」

 新しいチャレンジが決まったところで、ドライヤーの風も止まる。ありがとうございます、とお礼は忘れず言って、今度は自分でいつも通り三つ編みを編んでいく。
 徒町とさやか先輩にとっては、ここまで含めて一つのルーティン。でも初めてご一緒した梢先輩には、ちょっと珍しく見えたらしい。

「小鈴さんは、お風呂の後でもいつもの髪型にするのね。それに自分で……」
「あ、はい! 流石に寝る時はほどくんですけど。姉上に教えてもらったので、徒町この髪型だけは自分でできるんです!」
「決して単純な髪型ではないですし、すごいですよね。わたしも最初は驚きました」
「そうね。考えれば当たり前のことなのだけれど、私もすごいと思うわ」
「恐縮です! まあ逆に言うとこの髪型以外はさっぱりぽんなのですが……何度かチャレンジしてみたのですが、徒町のスキルでは朝のわずかな時間に新たな髪型を手に入れるのは難しく……」
「……なるほど…………」

 不意に何かを考え込む梢先輩。どうしたんだろう、徒町何か変なこと言ったかな……?
 声をかけて邪魔するのもそれはそれで申し訳ないし、一旦自分のことに集中。いつも通り反対側でも三つ編みを作って、お気に入りのリボンで結ぶ。鏡の向こうにいつもの徒町が出来上がった頃、梢先輩は再び口を開いた。

「さやかさん。明日の朝、小鈴さんをお借りしてもいいかしら?」
「はい??」
「……なるほど。明日はお弁当チャレンジもお休みの日ですし、構いませんよ」
「えっ、えぇ??」
「DOLLCHESTRAの大切な後輩ですから、大切に扱ってあげてくださいね」
「勿論よ。可愛い後輩なのは、私にとっても同じだもの」
「え、ふ、ふぇ????」

 徒町の知らない間に話が決まりました。どうやら徒町は明日の朝梢大先輩にレンタルされるらしいです。
 な、何をされるんでしょう、何をさせられるんでしょう!? 梢先輩といえば花帆先輩が「さやか先輩に並ぶ鬼教官」とおっしゃるほど練習と鍛錬にはストイックな方、もしかして実力不足の徒町に地獄の朝練を!? せ、せめて今日のうちに吟子ちゃんと姫芽ちゃんに別れの挨拶を……!!

「それじゃあ小鈴さん、明日は朝私の部屋に来てくれるかしら? 髪は下ろしたままでね」

 ……か、髪を下ろしたまま?
 徒町、本当に何をされるのでしょう……??

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 次の日の朝。徒町は梢先輩の部屋の前に立っていました。
 寮の3年生のフロアは綴理先輩の部屋に行くために何度も来たことがあるけれど、梢先輩の部屋にお邪魔するってなると緊張感が全然違う。思えばDOLLCHESTRA以外の先輩の部屋に入るのは初めてかも……うぅ、そんなこと考えてたら余計に緊張してきた……。
 とはいえあまり待たせて梢先輩に迷惑をかけるわけにもいかない。一つ大きく深呼吸して、意を決して目の前のドアを3度ノック。数秒の後、開かれたドアから部屋の主が現れる。

「おはようございます、梢先輩!」
「ええ、おはようございます、小鈴さん。……ごめんなさいね、朝早くに呼び出してしまって」
「いえ、それは全然大丈夫です! それで、徒町は一体何を……?」
「ふふっ、それは後でのお楽しみ。立ち話も何だし、まずは入ってちょうだい」
「は、はい、お邪魔します!」

 梢先輩に誘われて、扉の向こうへ。
 ……先輩の気品と性格をそのまま表したみたいな部屋だった。机もベッドも綺麗に整頓されてて、棚には本と、絵と、徒町には違いが何も分からない紅茶の缶たち。奥に見える譜面台とギターケースさえも、一瞬そういうオブジェなのかもって思っちゃうくらい自然にそこに佇んでいて……。

「大人の部屋だ……!」
「ふふっ、それは褒め言葉と受け取ってもいいのかしら?」
「勿論です!! さすが梢先輩はお部屋にも気品が溢れているといいますか、徒町のごちゃごちゃした部屋とは大違いといいますか!!」
「私は、小鈴さんのお部屋もとても素敵だと思うけれど……と、話が逸れてしまったわね。とりあえずここに座ってもらってもいいかしら?」

 先輩に促されて、部屋の中央に置かれた椅子へ。目の前に見える机は相変わらず綺麗に整えられていて、ほんのちょっと、自分が賢くなったような感じがしてくる。
 よし、それじゃあ始めましょうか。後ろから聞こえてくるのはそんな、どこか弾むような、そしてほんのちょっとだけいたずらっ子のような声。徒町が今まで聞いたことのないそんな声が気になって振り向けば……いつもと変わらない梢先輩の姿。だけどその右手には櫛が握られていた。

「櫛……?」
「ええ。……小鈴さん、普段の髪型も小鈴さんらしくて素敵だと思うけれど……今日は、違う髪型にも挑戦してみない?」

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 いつもとは違う場所で、ゆっくりと時間が過ぎていく。梢先輩が徒町の髪を梳かしてくれるのを、静かに受け入れる時間。恐れ多いだとか申し訳ないだとかそういうことを言う時間はとっくの昔に過ぎちゃって、今は扉越しに時折聞こえる、かすかな喧騒だけがBGMになっていた。

「……なんだか、梢先輩の妹になった気分です」
「ふふっ。可愛い妹ができて、私も嬉しいわ。……今までは、あんまりこういったことはしてこなかったかしら?」
「はい。寝癖を直すくらいはするのですが……徒町は毎朝バタバタで余裕がないですし、周りにやってくれるような人もいなかったので」

 それでもこの時間に懐かしさのようなものを感じるのは、覚えてないだけで姉上あたりにしてもらったことがあるからか、それとも梢先輩の優しくて温かい声が、同じように温かい思い出を呼び起こしてくるからか。

「花帆先輩や吟子ちゃんはいつも梢先輩にこうしてもらってるんですよね……ちょっとうらやましいなぁ」
「あら、花帆や吟子さんにはしてないわよ? お出かけの時にちょっと整えてあげることはあるけど、こうやって朝に手入れしてあげるのは小鈴さんが初めてだわ」
「えっ、そうなんですか!? てっきりDOLLCHESTRAと同じようにスリーズブーケも毎朝梢先輩が面倒を見てあげているものとばかり……!!」
「それはDOLLCHESTRAの方が特殊なのではないかしら……いや、本当にごめんなさいね綴理が……」

 ため息をつく梢先輩は、だけど相変わらずちょっと楽しそう。それがまた徒町にとっては新鮮で、このいつもと違う朝が、もっと特別なものになっていく感じがした。
 思えば梢先輩と学年もユニットも違う徒町は、ほとんど部長としての先輩の姿しか見たことがなくて……花帆先輩や吟子ちゃんが普段見ているスリーズブーケとしての梢先輩はこんな感じなのかもって思うと、2人と同じ暖かさに触れられてるみたいで、それがまた一層嬉しくなる。

「あれ? でも、花帆先輩と吟子ちゃんにもやったことないことを、なんでわざわざ徒町に?」

 ……不意に湧いて出た疑問を口にした瞬間、ぴたりと梢先輩の手が止まる。
 やばい。徒町何か気に障ることを言ってしまったでしょうか!?

「あっ、えっ、その、ごめんなさい!! 別に深い意図はなかったといいますか全然全く無視していただいていいといいますか!!」

 気まずさと申し訳なさから、咄嗟にそんな弁明をする。気が抜けてた自分に喝を入れながら、かちかちのまま梢先輩の次の言葉を待つ。
 ……でも、後ろから聞こえてきたのは笑い声。梢先輩の手も、いつの間にか再び動き出していた。

「ごめんなさい、別に気を悪くしたわけじゃないのよ。ただ、ちょっと恥ずかしくって」
「は、恥ずかしい……ですか? でしたらやっぱり無視していただいても……」
「いえ、せっかくだし、ね。……小鈴さんに声をかけた理由は3つ。1つ目は私が小鈴さんの力になれると思ったから。セットが簡単な髪型なら私もいくつか知っているし、参考になると思ったの」
「なるほど……徒町のために恐縮です……!」
「2つ目は、小鈴さんの今の状態を知るいい機会だと思ったから。練習を見るだけじゃ気付けない不調などもあるかもしれないでしょう? さやかさんと綴理のことは信頼しているけれど……スクールアイドルクラブの部長として、自分の目で直接見れること、自分の耳で直接聞けることはちゃんと確かめたかったの」
「そ、そんなことまで……!」
「そして、3つ目だけれど」

 もう一度、梢先輩の手が止まる。
 梢先輩が、言うと決めたみたいだったから、だから今度は静かに待つことにした。声が消えてから再び気付く時計の音と扉越しの喧騒。秒針の音が3回鳴って。

「……もっと、いろいろお話ししてみたかったのよ。その……小鈴さんと…………」

 そう絞り出した梢先輩の声は、瑠璃乃先輩と一緒にやった、あの配信の時の声に似ていた。

「……徒町と、ですか?」
「……その、私って、部長という立場もあるし、何より綴理や慈みたいに躊躇いなく距離を詰めていくようなタイプではないでしょう? せっかく半年も同じ部で頑張ってくれているのだからもっと仲良くなりたいのだけれど、ユニットも違うのに突然お出かけやお茶会に誘ってしまってもかえって警戒させてしまうかもしれないし……だからその、いい機会だと思ったのよ。髪のお手入れのアドバイスって建前にして、もっと小鈴さんのことをいろいろ知れたらって…………」

 三度動かし始めた手は止めないまま、でも消え入りそうな声で梢先輩は言う。
 ……気付いたことは、2つあった。1つは、確かに徒町は梢先輩のことを、どこかで雲の上の存在だと思ってたかもしれないこと。実際今日も先輩の部屋に入るまで何をされるのかって怯えてたし、さっきの沈黙も怖がってあれやこれやと言ってしまっていたわけで。
 そしてもう1つは……もっと知りたいって思ったのは、徒町の方も同じだってこと。部長だとか大先輩だとか、そういうフィルターを解いて触れてみた梢先輩は、練習や配信でご一緒した時よりももっともっと暖かくて安心する人で……徒町は徒町で、あれだけお世話になってるのにまだまだ全然先輩のこと知らないんだって反省しきりだった。

 ……うん、だったら。

「梢先輩!」
「ひゃっ!? ど、どうしたの、小鈴さん?」
「徒町は、ラムネが好きです!!」
「え、ええ。配信でも言ってたものね……?」
「でも、それだけじゃないんですよ? 漁師の家の生まれなのでお魚も好きですし、さやか先輩や綴理先輩と一緒に食べてからおでんも好きになりました! でもでも最近一番のお気に入りはだし巻き卵なんです! さやか先輩が何度も何度も優しく教えてくださったおかげで、物覚えの悪い徒町でもすごく綺麗においしく作れるようになったんですよ! 綴理先輩もおいしいおいしいって何度も褒めてくださって、さすがにこれは徒町史上初の『得意料理』にしちゃっていいのでは?なんて思ってるんです!」
「こ、小鈴さん……?」
「……えへへ、徒町ばっかり話し過ぎちゃいました。……だから梢先輩。今度は、梢先輩の得意料理も教えてください!」

 堪えきれなくなって、半ば先輩の手を振り払うように振り返る。丁寧に梳かしてもらった髪は、今までにないくらい優雅にふわりと宙を舞った。
 十数分ぶりに見た梢先輩は、突然のことに目を丸くしていて。またしても初めて知った表情が、この人は雲の上の存在なんかじゃないんだ、綴理先輩と同じ高校3年生なんだって当たり前の事実を教えてくれる。そんな当たり前の事実が、なんだかとっても暖かくて嬉しかった。

「徒町も梢先輩のこと、もっと知りたいです! 代わりに先輩が知りたい徒町のことは全部教えます! 拒否権なしで! ……だから、徒町にも教えてください。徒町の知らない梢先輩のこと、たくさん!」

 ……今度は、秒針の音が2つ。きょとんとしていた梢先輩は、耐えきれなくなったみたいに笑い出した。

「小鈴さんが拒否権を捨てるなら、私も拒否権なしで答えないといけなくなっちゃうわね」
「はっ!? あっいや、言いにくいことは全然行使していただいても!! 徒町が勝手に捨ててるだけなので!!」
「ふふっ……いいえ、やっぱり小鈴さんだけじゃ不公平だわ。それに、もっとたくさん私のことも知ってもらわないといけないものね」

 お淑やかに口許を隠して、でも年相応の笑顔で梢先輩が笑う。さっきと同じ笑い声。じゃああの時も、おんなじ顔で笑ってたんだ。

「ありがとう、小鈴さん。……それじゃあ得意料理の話から、また改めて始めましょうか。勿論、本来の目的だった髪のセットも進めながらね」
「! はい! よろしくお願いします!」

 梢先輩に促されて、また正面に向き直る。あんまりはっきりとは分からないけど、髪を梳かす手の動きがさっきより軽やかなのは、気のせいじゃないのかも。

「そうね、さやかさんっていう料理のプロもいるから難しいのだけれど……でもお菓子作り、特にお茶菓子に関してはさやかさんにだって引けを取らない自信があるわ」
「あのさやか先輩にですか!? お茶菓子っていうと、クッキーとかそういうのでしょうか?」
「ええ、他にもスコーンだったりとか……」

 梢先輩、いまどんな顔してるのかな。穏やかな顔、優しい顔……ううん、もしかしたらすっごく誇らしげな顔をしてるのかも。
 また一つ、先輩のことを知って、想像できるようになって。その度に感じる暖かさが、今はとっても、幸せだった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「……はい。これでどうかしら」

 姿見の向こうには、いつもよりちょっと大人びた徒町がいた。先輩に整えてもらった制服にリボン。そして……梢先輩とお揃いのサイドテール。
 つけてもらった髪飾りまで梢先輩とお揃いだった。徒町は先輩ほど髪が長くないので、サイドテールもほんのちょっと短くてちっちゃいけど……後ろに映る先輩の姿も相まって、本当に梢先輩の妹になったかのような錯覚を覚える。

「こんなおそろいで素敵な髪型……! 花帆先輩や吟子ちゃんに見られたら怒られないでしょうか?」
「多分怒られるわね」
「そ、そんな!?」
「だから、今度は埋め合わせにあの子たちにもしてあげなくっちゃ。花帆と吟子さんの長さじゃ同じ髪型は難しいでしょうから……2人に似合う髪型、小鈴さんも一緒に考えてくれる?」
「はい! 徒町がお力になれるのであれば、いくらでも!!」

 扉の向こうの喧騒は随分と大きくなっていた。窓から外を見やれば、登校している生徒たちの姿もちらほら見え始めている。

「それじゃあ、私はもう少しだけ準備があるから……小鈴さんは先に行って頂戴」
「はい、了解です! 素敵な髪型、本当にありがとうございました!」

 名残惜しいけれど、ずーっとこの部屋にいたら欠席扱いになって吟子ちゃんと姫芽ちゃんが心配しちゃう。
 寂しさを振り切ってドアノブに手をかけたところで、最後にちょっとしたことを思いついた。……想像したら思ったより恥ずかしかったけど……でも、梢先輩もさっき、恥ずかしがりながらもいろいろ言ってくれたんだし、これは、その分のお返しってことで。

「梢お姉ちゃん、行ってきます!」

 振り返った先の梢先輩は、一瞬また目を丸くして……でもすぐに微笑んだ。
 今日で一番、優しい顔と声だった。

「ええ、いってらっしゃい。小鈴」

 ……………………ああ、これはいよいよ、花帆先輩と吟子ちゃんに怒られちゃうな。

 だからこのやりとりは、目を引く髪飾りにこっそり隠して。今度こそ部屋から飛び出して、くるりと一つ回ってみせた。
 ——後ろ髪がまた、優雅にふわりと宙を舞った。

- Afterword -
2024/11/04 投稿作品

こずすず……と言ってしまっていいものなのでしょうか。
個人的にはあまりカップリングを意識したわけではない、そんな感じの作品です。

お散歩日記で自分の髪をセットする小鈴ちゃんの話が出てきた頃から、
小鈴ちゃんの髪を整えてあげる先輩の概念は書いてみたいと思っていました。
元々は蓮ノ空メンバーが毎朝かわりばんこに担当して……といった
オムニバス形式のものを想定していたのですが、
最初の梢先輩のターンが想像以上に綺麗に膨らんでくれたので、
そのまま一つの作品として纏めてしまった次第です。

慈ちゃんや花帆ちゃん、瑠璃乃ちゃんとの絡みもまた違った味がありそう……
とも引き続き思ってはいるので、
またどこかのタイミングで、続編なんかも書けると良いですね。