黒子と接吻
「ほくろって、前世で愛する人にキスをされた跡なんですって」
最初にそんなことを言い出したのは、こずだった。それを聞いためぐは一瞬おばけでも見たみたいな顔になって、でもすぐにいつものめぐに戻った。
「花帆ちゃんから聞いたんでしょ、それ」
「ええ、この前漫画で見たんですって。昨日の練習前に飛び跳ねながら教えてくれたの」
「それで花帆ちゃんのほくろの位置を念入りに舐めるように調べたと」
「そんなことはしません!! 慈と一緒にしないでくれるかしら!!」
「その返しはおかしいでしょうが!? 私だってしないっての!!」
ぐるるる、がるるるって威嚇し合うこずとめぐ。久しぶりにビッグボイス選手権が始まるのかなって思ったけど、しばらくしたら2人ともため息をついて座り直した。ざんねん。
「だいたい、それなら人類ほぼ全員、口許にほくろがないとおかしいと思うけどね」
「艶ぼくろ、ね。確かに人類ほぼ全員とまではいかなくても、もっとたくさんいてもいい気はするわね。蓮ノ空だけで見ても、艶ぼくろのある人なんてほとんど見かけないし」
「なんで口許にほくろがないとおかしいの?」
「そりゃあ綴理、キスって言ったら……いや、なんか改めて説明するとなると恥ずかしいな。今度さやかちゃんに教えてもらいな」
めぐはそう言って目を逸らす。試しに頭の中のさやに聞いてみたけど、『なんですかなんですか!?』って顔を真っ赤にして叫ぶばっかりで何も教えてくれなかった。まあ、ボクが分からないことだから頭の中のさやが分かるわけないんだけど……でも顔を真っ赤にしてたってことは、多分そういう感じの話なんだと思う。……あれ、じゃあ本物のさやにも聞かない方がいいのかな……?
「ていうか、そもそも見えるところにほくろある子が少ないよね。涙ぼくろとか艶ぼくろとか、スクールアイドルクラブに1人くらいいたっていいと思うけど」
「確かに意識しだすと少ないようにも見えるけど……でもクラスにもいないし、他の学校のスクールアイドルでもほとんどいないし、そもそも母数が少ないだけな気もするわね」
「にしたって皆どこもかしこも綺麗じゃん。顔のほくろとまではいかなくても、手の甲とか腕に一つくらいはあったって可愛いじゃんとは思うんだけどなぁ〜。まあめぐちゃんが言えたことじゃないけど」
「よく分からないけど、さやにはあるよ? ほくろ」
「言われてみれば……確かにさやかさんの首許のほくろは一つのチャームポイントね」
「ということはあれも前世誰かがキスした跡ってことだ」
……え?
「まあ、最初の話を信じるならそういうことになるわね」
「どうせ綴理でしょ。前世でも朝起こしてもらうついでにちゅーしたんだ」
「ぼ、ボク、おぼえてない……」
「キス自体は否定しないのね……というか前世のことは覚えてない人の方がほとんどだと思うのだけれど……」
そっか。前世だから、さやのほくろはボクが生まれる前に誰かがつけたもので、それは一つ前のボクだってめぐは言ってるけど、ボクはそれを覚えてない、覚えてるわけがないから、結局それはボクじゃない誰かの話で。
だから、さやの首筋に残ったものは。
ボクの知らない、誰かの痕だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
お弁当を作って、授業を受けて、練習して、お風呂に入って、そして明日の支度をする。毎日こまごまとした違いはあっても、大筋は変わらない、そんなルーティーン。
唯一日によって大きな変化があるとすれば、それはやることを全て終えてから寝るまでの自由時間だった。花帆さんや瑠璃乃さんとゲームをしたり、梢先輩とこっそりちょっとしたお茶会をしたり、あるいは小鈴さんの相談に乗ったり、最近は姫芽さんとお弁当の下準備をすることもあったっけ。……あとは、綴理先輩がひょっこり遊びに来たり、逆にわたしが綴理先輩の部屋に呼び出されたり。
そう、これまでのパターンに当てはめるのなら、今日はそれらのうち最後のパターンだった。綴理先輩の部屋に行って、消灯まで一緒の時間を過ごす。もはや何度目か数えることもやめてしまった、わたしの、新しい夜の過ごし方。
「あ、あの……綴理先輩……?」
「…………」
今までと違うのは、その時間に会話がほとんどないことだった。
いつもなら中身がないようなあるような、そんな他愛のない会話をしながら過ごしていたはずだ。今日のお弁当もおいしかったとか、今日も風が気持ちよかったとか、今日も小鈴さんが頑張っていたとかそういうことを、お茶を飲んだり配信を見たり、何もしなかったりしながら穏やかに話すような夜だったはずだ。
それなのに今日は、部屋の主が一言も口を開いてくれない。わたしを呼び出したのは綴理先輩の方なのに。ただただベッドに寝転んで、同じベッドに腰掛ける私の寝間着の裾を、曖昧な強さで掴んでいるばかり。
「……綴理先輩」
「…………」
……これが出会ってすぐの頃なら、文句の一つでも言っていたかもしれない。あるいはこれがまだ去年の話なら、まだまだ言語化の練習中みたいだからと静かに待っていたかもしれない。だけど今はもうわたしたちが出会って2度目の秋で、少なくとも伝えるべき言葉は、お互い不器用なりにもそれなりに伝えられるようになっているつもりで。
だからわたしは、綴理先輩の抱えるそれは、言葉だけじゃ伝えられないものなんだと判断した。
「よっと」
「……さや?」
ほんのちょっとだけ綴理先輩を押し退けながら、向かい合うように寝転がる。まあるく揺れる紅い瞳と、口許から溢れる驚きが、ようやくわたしのことを正しく捉えてくれた。
さっきまで裾を握っていた右手をわたしの両の手で握り返して、わたしもその瞳をまっすぐ捉える。視線に気づいた紅色は、ほんのちょっと恥ずかしそうに、あるいはばつが悪そうに再び揺れた。
「……これで、ちょっとは考えてることも分かるでしょうか?」
わざとらしくそう言ってみせる。本当はただ貴女の言葉を待つことしかできないけれど。言わなくても分かることなら、とっくの昔に伝わってるはずだから。
先輩は数瞬、くしゃくしゃで泣きそうな顔になって、そうしてまたばつが悪そうに目を逸らして——最後に不意に、わたしの首許に口付けを落とした。
「……本当に、どうしたんですか急に」
普段であれば取り乱していたと思うけど、今は不思議と落ち着いていられた。くすぐったさや気恥ずかしさに気をやるよりも、きっとこの先に続けてくれる、貴女の言葉を待っていたかった。
「ほくろってね、大好きな人がキスをした跡なんだって」
そういえば、花帆さんも昨日お風呂でそんなことを言ってたっけ。確かその話には「前世で」という前提があったはずで……その後自分の身体のどこにもほくろを見つけられなくて、「あたし梢センパイに前世で全然キスしてもらえてない……!?」ってよく分からない落ち込み方をしていたのを覚えている。
「さやのここにも、ほくろがある」
「そうですね。人よりは幾分か目立つところにあるかもしれません」
「めぐは、ボクがつけたって言ってた、けど」
「前世の綴理先輩、ですか。確かにそれなら素敵だとは思いますが……」
「でも、ボク、そんなの覚えてない、から」
「……だから?」
「これは、知らない誰かが、つけた痕」
……なんだ、そういう。
わたしにとっては気にするまでもないことで雨に濡れた捨て猫みたいな顔をする綴理先輩を見て、口付けを受けた首筋に、ほんのり暖かさを感じてくる。
言葉を重ねればきっと安心してもらえるだろうか。今のわたしには貴女しかいないって、そうやってまっすぐ伝えることもきっとできるだろう。でも、今は、そんなものより——。
「ひゃっ……!?」
返すように、白い首許に口付けを落とす。滅多に聞かない上擦った悲鳴に、わたしにしては珍しく「可愛いな」なんて思ったりして。
「これで、来世はお揃いですね」
「……さや」
「今すぐお揃いは難しいかもしれないですけど、前世も今世も一緒なら、きっと来世も一緒でしょうから」
「……本当に、一緒かな」
「一緒ですよ。こんなに綺麗にきらめく人、そうそう見逃したりなんてできません。……そうですね。それでも不安だと言うのなら……どこでも好きに残してください。頬でも首でも耳許でも。痕なんて確かめるまでもないくらい、納得できるまで」
あるいはこの痕は、前世そうやってできたのかもしれませんね。
前世の貴女も同じように不安がったとして、きっと前世のわたしも、同じように受け入れてみせただろうから。
目の前の先輩は暫く目を瞑って考えて、一瞬小さく唸った後、ゆらりともう一つ、口付けを落とした。
……わたしの、唇に。
「……へ?」
先程まで感じていた暖かさとか愛しさとかそういう類のものが一瞬で天井を突き破って吹き飛んでいく。さっきまで首許に感じていた温度もよく分からなくなるくらい、頬が熱くて仕方がない。
「い、今っ、く、くく、くちびるに」
「? どこでもいいって、さやが言った」
「唇はルール違反じゃないですか!! え、嘘、わたしこれが初めてで」
「さっきもほくろのとこにしたけど……」
「それは別カウントというか!! こういう口付けは特別というか、分けて考えなきゃいけないというか……!!」
「そうなの? じゃあ、ボクも初めてだよ」
「〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
「……そっか、でも分かった。めぐが言ってたこと」
「なんで今慈先輩の名前が出てくるんですか!!」
こっちはあっさりファーストキスを奪われてパニックなんですよ!! 貴女のせいなんですよ!!
わたしの全力の抗議もどこ吹く風。さっきまでのしょんぼりした態度が嘘みたいに満足そうな綴理先輩は、その円い紅を細めて答え合わせをする。
「口許にほくろがない理由。……恥ずかしくて、拭っちゃうからだ」
珍しく口許に手を当てて笑う先輩を見て、自分が全く同じようにしていることに気がついた。
心臓が一際強く跳ねたのは、恥ずかしさすら見透かされている気がしたからか、それとも不意に気付いた「お揃い」に、心が揺れたからか。
「……明日のお弁当の準備があるので、わたしそろそろ行きますから!!」
「ボク、またおでんが食べたい」
「今言っても間に合いませんよ!! 明後日作ってあげます!!」
これ以上何かを見透かされてしまう前に、転がるように部屋を飛び出す。……本当は夜のうちに準備が必要なことなんてないけれど、あの言い訳を嘘にするのは心が痛むから、一つ大きくため息をついてキッチンへと歩き出した。
呼吸が落ち着いて、頬の熱が引いて、頭の方も冴えていって。代わりに熱を感じるのは、最初に触れた、首許の痕。
恥ずかしいけど暖かいのは、前世の誰かの愛じゃなくて。
この首筋に、他でもない、貴女の温度を感じるから。
痕なんて残らなくていいなんて言ったら、来世の貴女も落ち込むだろうか。……そんなことを思いながら、一人、またわざとらしくため息をついた。
2024/09/26 投稿作品
私としては初めてのつづさや作品です。
何かとお世話になっている方がつづさや推しだったので普段のお礼も兼ねて……といった気持ちもあったのですが、
完成する前にその方はVTuber沼に沈んでしまいました。
まあ人生そういうこともあるかと思います。
「ほくろは前世愛する人にキスされた跡」とか、「心臓の鼓動の回数は生き物ごとに決まっている」とか、
あとは「人が人生で泣く時間は19時間」とか、そういう俗説が好きです。
SNSで流れてくるそんな話には当然エビデンスなんてついてなくて、
実際のところとんだ眉唾もののお話なわけなのですが。
それでもそれが真実か嘘かなんてものは本質ではなくて、
そんな与太話をできる関係性だったりとか、そんな与太話に縋りたくなるような小さな世界だったりとか、
そういうものに、やっぱりどうしても惹かれちゃうな、なんて思うのです。